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「注文なんかいらない料理店」 36

1月17日は阪神淡路大震災の日ですが、29年前のこの頃、長男を身籠っていた奥さんが下血して病院に直行したことを思い出すのです。
このあと子宮内膜症で3ヶ月完全寝たきりとなり、予断を許さない中必死で頑張ってくれました。

当時の医療ではまだ1000グラムに満たない胎児の健常の判断はできません。
お腹の子が五体満足か、障害を持っているかはわからない。
その時25歳だった自分は人生で初めて腹を括りました。
奥さんには「全然大丈夫」と励ましながら、たとえ障害があったとしても育てていこうと決めたのです。
子供の生死を勝手に決める権利など誰にもないからです。

その時父は僕に子供を堕ろすように嘆願しました。
それは生まれくる子供がもし健常でなければ、子供も僕ら夫婦も不幸になることを心配しての親心からでした。

僕はそれを拒否しました。
6ヶ月になる一週間前に容態が急変した奥さんは緊急手術で無事長男を出産。
606グラムの超未熟児は何一つ身体に問題なく生まれてきてくれました。
それはきっと偶然にしか過ぎず、幸運とは偶然の賜物なのだと思います。

無事に初孫が生まれて、父は僕に自分が言ったことを謝ってくれました。
僕は恨んではいなかったし、反発はしたものの父の気持ちもよくわかっていました。
その父の誕生日は1月17日。今日で82歳。

食事制限で塩分糖分、果物などのカロチンも摂取を抑えなくてはいけない父に、かんぱちの刺身とローストビーフをお祝いに買っていきました。
ベランダで自分が食べれない漬物をつけていた父は腰も曲がり小さくなり、足元もおぼつきません。
実家を出て帰宅したら、いろいろな感情が滲んできました。

僕がローストビーフを買ってきたからと、父のために作ったスペアリブを母がかわりにくれました。
79歳の母がコーラを使ってスペアリブを煮るのです。
父のために。

僕が家族のために食事を作るのは、この母の背中を半世紀見てきたからなのだと、今頃になって気が付きました。
人は歳を取ればちょっとは賢くなるのかもしれませんね。

スペアリブに、残り物のしめじとベーコンを炒めてスペインオムレツ風につくり、こちらも残り物のほうれん草で白和えにして一緒に夕食にしました。

おいしくいただきました。
願わくば、こんな食卓がずっと続いてくれることを。

ごちそうさまでした。

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