「注文なんかいらない料理店」 10
人によって「過去」は良き日々であったり苦労や痛みだったりします。
いつ頃からか、僕らは「トラウマ」という言葉を普通に使うようになりました。
覚えている限りでは、自分が20代の頃には一般的な言葉ではなかったです。
個人的な話ですが、「あの頃は楽しかった」と思うことがほとんどありません。
ではろくな人生じゃなかったかといえばそんなこともなく、普通に楽しかったこともあり、記憶もあり、確かに人よりちょっとだけ苦労もあったりはしたものの特別ではないのです。
じゃあどうしてなのか?
たぶん、辛かったことに対して人より敏感なのかもしれません。
そんな記憶に人生を浸食されたくないんです。
僕の友人の幾人かは、大変辛い経験からサバイブしてきて、そのことが強いルサンチマン、つまり恨みとして溢れてしまう時があります。
僕はその感情がすごくわかる。
だから自分でもできていない癖に、ルサンチマンに囚われないでいて欲しいと願うのです。
それは無責任だし、そんな簡単なことではないことぐらいわかっています。
無力な自分は話を聞くことで一緒に辛さを共有したりしかできないのですが、それはきっと大切なことだし、できるかぎりそうでありたい。
食の畜生だった父が大嫌いだったのに、料理をしているそんな自分だから思うのです。
今日は先日使い残したさわらをムニエルにして、マッシュルームと玉ねぎとベーコンのホワイトソースをのせました。
スープはコンソメと鶏ガラとケチャップとミックスハーブで味付け。
料理のためにするのではなく
家族と食べる食事のために
おいしくいただきました。
ごちそうさま。
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