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春の光みたいな人が好きだった

小学4年生の頃に好きだった女の子は、休み時間に『化物語』を読んでいた。表紙が真っ赤で、如何わしい本だと思って見ていたら、「これ、面白いよ」と言って貸してくれた。少しだけ読んだ、わたしの記憶は、戦場ヶ原ひたぎの体重が軽すぎるというところで止まっている。

彼女は春の光のような存在で、わたしの憧れだった。小学生、中学生、高校生まで、ずっと。美人で、読書家で、賢くて、予備校に通っていた時の模試で県内1位を取るような子だった。会った時に、すごいね、と伝えたら、まぐれだよ、となんてことないように嫌味なく笑っていた。わたしの知るかぎりでは、自分の賢さをひけらかすことがなく、決して少なくない努力をしているのに「自分は頑張ってる」と言わなくて、そこが、とてもかっこよくて好きだった。彼女みたいになりたくて色々真似してみたこともあったけれど、どれもしっくりこなくてやめた、どうやったって、中途半端にしかならなかった。彼女とは中学、高校と別の学校に通っていたから頻繁には会えなかったけれど、予備校や通学途中のバスで偶に会うことがあって、そんな日には、今日はいい日だ、と自分のなかで占いじみたことをしていた。小学1年生の時に配布された自己紹介プリントの「将来の夢は?」という項目に、彼女はとても綺麗な、はっきりとした字で「医者」と書いていた。そして、その時、あるいはそれ以前からの夢を叶えるために、ずっと目指していた医学部に進学した。変わらない、ほんとうに芯のある子だと思う。

わたしはいつも誰かに憧れていて、誰かを目指して、この人みたいになりたいと思いながら生きてきた。その中でも、ずっとブレなかった彼女が好きだった。予備校に貼り出される模試結果の順位表に彼女の名前を見つけるたびに、ほんとうに手の届かない人だと思った。わたしの青春時代の消えない光だった。何回か彼女の家に遊びにも行った、小学生の頃には彼女を含めた友人4人で交換ノートもしていたし、一緒に舞台を観に行ったりもした。思い出はたくさんある、一緒にいた時間も長かった、だからと言って、彼女をよく知っているとは思えない。友人よりも憧れの存在として見てしまうのは、そういう理由によるのかもしれない。


受験後に予備校で会って少しだけ話した時に、彼女は上位校と言われる大学に進学した人たちをすごいよね、と褒めることはあっても、それ以外の大学を見下したりはしなかった。大学内の人が大勢いる場所で、「この大学は、うちの高校では合格が当たり前だった」「行けて当然だった」と言っている人たちを見かけるたびに、わたしを含め、この大学に行くために100の努力をした人もいるだろうに、と思う。だから、あの時の「努力量で人を見るべきだと思う」という彼女の言葉と想像力に救われる。大人だった。

大学入学後、予備校から合格体験記に載せる文章を書いてくれないかと頼まれたわたしは、顔写真と文章を寄稿した。それが冊子になって生徒や教師に配られてすぐ、予備校でバイトをしていた彼女から、「見たよ!一番可愛かった」というメッセージが送られてきた。こういうことができるから、わたしはずっと、好きなんだと思う。


ほんとうに、春みたいな子だった。だから、今ではあまり会わなくなってしまったけれど、春が近づくたびに、彼女のことを思い出す。


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