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春のひだまり⑤ 東日本大震災13年目の春

3月11日
この時期になると、震災の事を思います。

2011年3月11日は、お仕事はおやすみ。
高校の同級生と、久しぶりに3人で、恵比寿で食事をする予定でした。
お店には、予約をして準備OKです。

お休みの友達とランチをして、夕食の合流を楽しみにしながら
新宿駅で降りて散策していました。
上り坂にさしかかった時、真っすぐ歩いているつもりが、左へ左へと傾いていきます。脳梗塞?と思っていると、お店から、お客さんがすごい勢いで出てきます。
電線同士がぶつかり合い、物凄い音を立てながら揺れています。
立っていられない程、地面が揺れ、しゃがみこんでしまいました。

「何?どうしたの?」と思っていると、誰かが「新宿高層ビル群」を指さします。肉眼ではっきり見えるほど、ビルがしなっています。途中で折れてしまうのではないか?と思うほどで、怖くて凝視出来ない程です。

写真は新宿高層ビル群ではありませんが、このような距離に見えました。

すぐに家電量販店に行きます。大型テレビの前は、人が群がっています。
波は家や車をのみ込み、海に流されていきます。
何が起きているのかわかりませんでした。信じられない光景です。
呆然と立ちすくむしかなかったです。
閉店のアナウンスがあり、お店から出なくてはいけなかったのです。

JRの駅に向かいます。すべての電車が運休です。いつ動くのか知りたくて、確認しますが「わかりません」と。
間もなく「構内を閉鎖します、外に出てください。新宿御苑が避難場所です」この寒空にいる場所がなかったのです。
陽が落ちると急激に冷え込み、野外にいられる状況ではありません。

新宿御苑の一部

当時、職場が渋谷区にあった為、人の流れにのり職場まで歩きました。
大通りが、人で埋めつくされます。
お店は、次々と閉店となりコンビニから食料が無くなります。
携帯電話は不通となり、公衆電話に行列ができます。

夕食の予約をしたお店にもキャンセルの連絡しますが、不通。
職場の宿泊許可が出て、職場にある椅子を並べ、その上に横になり、他の職員と一緒に職場で朝を待ちます。

交通機関は止まっています。ラッキーなことに翌日は土曜日で仕事はお休みでした。
コンビニに行っても、食べ物や飲み物はありません。
「食べるものがない!」と困っていると、職員の一人が、自転車でおにぎりの差し入れをしてくれて、涙が出るほど嬉しかった事を覚えています。
朝、職場を離れ、動いている電車を探しながら、夕方17時過ぎにやっと自宅に戻れました。すべてが初めてで貴重な体験でした。
それから、友人は必要最低限の防災グッズを鞄に忍ばせています。

現在の岩手県

現在線路がなく電車は走らない
浄土ヶ浜
浄土ヶ浜

関東地方で、これだけ大変だったので、当地はどれだけ大変だったのだろうと思います。
先日伺った、岩手県の街は整備され、観光客から見ると何事もなかったように綺麗になっていますが、失われたものは大きいと思います。この経験を無駄にしてはいけないと感じています。
また、いつ来るかわからない災害に対応出来る準備は必要だと強く感じています。
                          御室文美子


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