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JS卒業へ向かっての嗜み。

『ランドセルに寄せ書きするの‼︎』
わが家のJSちゃっかりが言いだした。

寄せ書きといえば、色紙やサイン帳、卒業アルバムにするものだと思っていた。

卒業記念にランドセルを小さなランドセルにして記念に取っておくことが一時流行っていたが、原型のままランドセルの中に寄せ書きをするっていいなと思った。

大人になった時、ランドセルを開けると懐かしい友達からのメッセージや名前が出てくるなんて嬉しいだろうな。

色褪せたランドセルの朱色が、寄せ書きを見た途端、鮮やかな赤色に見えたりするかもしれない。

ちゃっかりは素敵な小学校生活を送れているんだなと嬉しく思うと同時にドカ弁は義務教育期間、本当に友情に恵まれなかったなと思う。

ドカ弁が卒業を控えた今のちゃっかりと同じ頃を振り返ると本当に殺伐としていた。

サイン帳や寄せ書きもしない、先生への感謝の言葉を書いた色紙の準備もしない、とにかくナイナイづくしだった。

『お母さん、この子たち本当にドライというのか、なんて言えばいいのか…。卒業前の時期になっても、友達同士でサイン帳を回すこともしない、寄せ書きの準備をする様子もないんです。』

当時ドカ弁の担任だった先生が寂しそうに仰っていたことが忘れられない。

ドカ弁がJS時代、やたらと流行っていたものといえば、携帯電話ではなく、PCでやるアメーバピグ、アメブロだった。

小学生のやることだから、親が管理していない子は、名前や学校名をプロフィールに全公開し、先生への恨みを書いた気味の悪い文章や嫌いな友達への誹謗中傷なんかを書きまくっていた。

それに気づいた保護者やトラブルに巻き込まれた子の保護者が学校に通報したことから話し合いなどが持たれたクラスもあったようだった。

トラブルになる書き込みをしている子の保護者ほど、『子どものやることだからどこまで注意していいかわからない。』とか、『みんながやってるのにやるなと言って仲間はずれになったらどうしてくれるのか。』などという言い分で責任回避していたという話を人づてに聞いて心底ビックリした。

『アメーバピグはやらせないように』という手紙が学校からも回ってきたので、ドカ弁には禁止していたが、中を覗いてみると、ドカ弁のことを悪く書いている子もいた。よく知っている子が書いた我が子への悪口を見たあの衝撃。

誰が誰の悪口を書いているかまで全て丸わかりだったから本当にタチが悪いなと悲しくなった。

『ドカ弁、先生に色紙書いたら?みんなで寄せ書きしてあげたら先生喜ぶと思うよ!』

元気づけようとそんなふうにドカ弁に言ったりしてみたが、首を振り、『みんなやらへんって言うからやらへん!』と言っていた。

出る杭は打たれるの典型的な環境だったのだと思う。

先生を喜ばせてあげたい。感謝の言葉を贈りたい。そんな子どもながらの思いやりのようなものを誰一人実行しようとしなかったドカ弁の同級生たち。

目立てばアメブロで叩かれる。
自分の立場が悪くなる。

一部の問題児が盛り上がるアメブロを警戒して、みんなが善意を出せずにいたのだから何とも言えない空気が教室には流れていたのだろうと想像できる。

それに比べて、ちゃっかりたちは卒業を控えて懸命に思い出作りに励んでいるのがなんとも可愛らしく、見ていて、聞いていて嬉しい。

『先生に寄せ書きとか書いて渡すの?』ちゃっかりに訊いてみた。

『当たり前じゃない!あとね、卒業式の前に後ろの黒板にも寄せ書きと先生へのお礼の言葉を書こうって相談してるの‼︎何書こうかなぁ。』

4歳違いの姉妹であるが、四年の時を経て変わったことは何だろう?

ドカ弁たちが不自由な小学校生活を過ごす原因のひとつになっていたアメーバピグは、小学生、中学生がトラブルに巻き込まれる原因になるとして、15歳以下の利用者は親の承認、登録がなければ利用不可になったことをきっかけに、アメブロ繋がりの悪口ブームの波は去ったようにみえた。

しかし、その後はiPhoneの普及によりLINEを利用する小学生が増えたのだからトラブルが全く無くなったわけではなさそうだ。

ではどこがここまでドカ弁の同級生たちと違うのだろうか?

親の躾?子どもが持って生まれた性質?

少なくとも同じ親である私が、わが家の姉妹にしてきたことは、ほぼ同じことである。

同じようにご飯を作って食べさせ、同じように手をかけて育ててきたつもりだ。

そういえば。

『あの子には負けるな!』

そんなふうに我が子にプレッシャーをかけている保護者がたくさんいたドカ弁の同級生たちだった。

親の期待に応えないと愛されない。

そんな闇を抱えた子どもたちがたまたま集まってしまったのがドカ弁の同級生の最大の特徴だったのかもしれない。

旅立ちと始まりを宣言するけじめの季節を前に、今時のJSなりの嗜みを身につけはじめたちゃっかりとちゃっかりの同級生たち。

どうかそのままで。

周りの人たちへの優しさや感謝の心を失くさず、大切にしていってほしい。

気遣いを教えるべき私たち親がその責任を果たせているか、そこができているか否かで子どもたちの言動は大きく変化するのに決まっていると言っても言い過ぎではないように思う。

我が子が幸せに学校生活を送れるということは、どこの親だって一番嬉しいことに違いない。

大切な我が子が安心して学校に通える、良い友人に恵まれ優しい人に成長していく環境を親が邪魔してはいけないのだ。

卒業式にはJSの嗜みをどんな形で魅せてくれるのだろうか。

#エッセイ

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