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遠くにいても。

noteをはじめてもうすぐ2年。

その間には様々なことがあった。

中学生だった長女ドカ弁は高校生になったし、次女ちゃっかりはいよいよ春から中学生になる。

noteでは様々な出会いがあった。

今ではnote以外で話を出来る人たちもでき、本当に嬉しい。

みんな様々な日常を抱えながらも、noteを楽しんでいるんやなぁと感じている。

世の中は楽しいことばかりじゃない。

苦しいことや面白くないことはいっぱいある。

誰だって形は違えど不安や悩みは持っているのだと思う。私もそうだし、あなたもそうかもしれない。

SNSの難しさはnoteだけじゃなく様々な場所で見られることなのだろうと思う。

リアルに顔を合わせて話す場所ではないから行き違いが起こることもあるに違いない。

しかしそれはSNSに限らずリアルな暮らしの中でもあり得る。

『何でも言い合える関係が本当の友情だ』とか、『ダメな所を指摘されて怒るような人は議論ができない人だ』とかいう決めつけが私は好きじゃない。

だってそんなの息苦しい。

誰かの失点ばかりを探して『あなたのここが納得できない!』などとぶっちゃけ、議論という名のリングに上るか否かで『信用に値するデキル人か信用できないアカン奴か』と品定めされては辛い。

私は毎日をほんの少し楽しいものにしたい、日常の区切りの一つとしてこのnoteを覗いている。

私には私の、誰かには誰かの人生があり、すべてが分かり合えるとは思っていない。

だからこそ、何かを分かち合える瞬間が訪れたときはとても嬉しく思う。

多様性を尊重することが大切、共感ばかり求めるのはいかがなものか?といった意見もネットの中ではちょくちょく見かける。

だけど。

私は共感ばかりしたい時がある。

『そんなのは馴れ合いだ!』と言う意見もあるかもしれないが、『私が共感したいのだからほっといてちょうだい。』と思う。

『共感したい』と感じるのは、私がその相手に惚れているということなんだと思っている。

恋愛感情でなくとも、相手を好きだと感じるからこそ、『共感』が生まれるのだと思う。

私にはそれこそが大切で、そこをサラリと越えてきてくれる人が好きだ。

遠く離れた場所に暮らす人ともnoteではつながることができる。

私が好きな人たちが存在していて、私を好きになってくれた人たちがいるこの場所が好きだ。

いつでも会えるわけでなくともnoteを開けば会える。

大丈夫?と連絡をくれる人がいる。

今日こんなことあってね〜なんてメッセージを送ってくれる人がいる。

そんな人たちに巡り会えただけでも、私、ツイてるなぁと思える。

遠く離れていても、繋がった糸のように引き合う人たちの存在を大切にしていきたい。

#エッセイ #note


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