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リメイクする。

毎日作るごはん。家族で食べる晩御飯は翌日にはJKドカ弁の曲げわっぱに収まったり、私のおひとりさま用ランチになったりしている。

冬ならシチューの翌日はチーズをふりかけて熱々のドリアになるし、粕汁の翌日にはうどんを入れてたっぷりの青ネギと一味をかけて食べるのが楽しみである。

リメイク料理は残り物消費であるが、これもまた味わい深くてなかなかのものなのである。

料理を作り、リメイクすることで自分自身の作業にケジメをつけるような。

この行為と、私が文章を書くことはどこか似ている気がしている。

生きている限り、日々何かを作っているのだと感じているからかもしれない。

作るといっても別に料理をするとか、作品を創るとかに限ったことではない。

DVDやCS、Hullで好きなアーティストのLIVEや映画を観ることで沸き起こる気力だったり、元気のない金魚に餌をやって水を綺麗にしてあげようとする、自分以外の生き物に対して持つ思いやりの感情を動かすことだったり。

何気ないありきたりなことで作り出される感情も含めてそんなふうに感じるのである。

特別なことはない毎日の中にも、心動かされる瞬間がきっとあるのだと思っているし、その何気ない瞬間に感じたことから過去の自分が消化出来ていなかったことが思いだされたり、わからなかったことや、理解できずにいた人のことが「あぁ!そういうことだったのか‼︎」とパズルが完成するような、数学の解がズバッと出たりするような感覚になることもある。

記憶の引き出しはいつでも開け閉めできるようになっているが、新しい記憶を入れると、古い記憶はどんどん奥にしまわれていってしまう。

賞味期限が何年も前に切れたまま冷蔵庫の奥から発見される味を深めるためのオイスターソースやピリ辛隠し味の豆板醤のような存在になってしまいそう。

味わい深くても、ピリリと効いた隠し味でも使われないまま朽ちていくのは無駄遣いだし、身体にも悪い。

きちんと消化して使い切ることが食中毒ならぬ自家中毒から自分を守ることにも繋がっていくように思う。

上手くいかなかったこと、失敗したことも消化しつつ「この味付けは結構美味しかったよ。」そんな上手くいったコツや隠し味も読んでくださる方に伝えていけたらと思っている。

人生のリメイクとは?

その人自身が創り出す、記憶と経験と発見が混ざり合った究極のオリジナル料理かもしれない。

#エッセイ

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