クモマサの悲劇。
わが家に現れ、日々大胆になって家中を移動する小さな蜘蛛「クモマサ」のお話を書いたのは昨夜のこと。
この小さな蜘蛛のことを、娘たちは亡くなった父の名前を文字って「クモマサ」と呼び、この1か月半ほどわが家に笑いを提供してくれていたのであるが、今朝天国へ戻っていった。
と、こんなふうに書くと美しいのであるが、現実はかなりの衝撃であったことをここに懺悔しておこうと思う。
長女JDドカ弁が1時間目の授業を遅刻したと大騒ぎしている中、「知らん知らん〜自己責任〜♪」などと鼻歌混じりに歌いながら洗濯を干し、掃除機のスイッチをオンにしたのだ。
あちらこちらにお菓子のゴミを発見し、せっせと掃除機をかけていた私。
ふと床に目をやると。
「クモマサ‼︎」
反射的に掃除機のスイッチを切ったのであるが、クモマサの姿は消え去っていた。
「あかーん‼︎クモマサ掃除機で吸ってもた‼︎」
焦って掃除機の筒をひっくり返してもクモマサの姿はなく、掃除機の紙パックを取り出し、慎重にクモマサの姿を探してみる。
「あ‼︎」
綿ぼこりの中にクモマサを発見したが、すでに動かなくなっていた。
「死んでるー!」
大声で叫んでしまったところ、ドカ弁が2階から駆け降りてきた。
「あっちゃー!クモマサ!だから床は危険やって言ってたのに、、、。」
「ドリフの大爆笑のコントじゃあるまいし!」
冗談みたいな最期を迎えてしまったクモマサに向かってそんなふうに話しかけ、手のひらに亡骸を置いたまま、しばし放心。
「このままゴミと一緒に捨てるのは切ない。そうや!おじいちゃんが家の庭に植えた南天の木の下に埋葬しよう。」
亡くなる一年ほど前、父は何を思ったかわが家の庭に南天の木を挿し木したのだ。
せっせと水やりをし、「今日はちょっと大きくなった!」などと日々観察することを続けていたのであるが、現在その南天の木は赤い葉を沢山つけた姿に成長しているのである。
その木の下にクモマサを埋葬しようと思いつく私たちもかなり短絡的ではあるが、実際亡くなる時も冗談みたいな最期で笑って旅立ったのが父である。
「おじいちゃん、バカボンのパパの決め台詞をよく真似して言ってたしな!」
「これでいいのだ‼︎」
あっけないクモマサの最期の様子を見て笑ってるだろうと、不謹慎だけど笑いが込み上げてきてしまう。
さよなら、クモマサ。
また会う日まで。
合掌
「しかし何回埋葬されるねん!」
ドカ弁がボソッと呟いたことは。
父、いや「クモマサ」に聞こえていないことを祈ろう。
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