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「自分の考えを書く」「自分の過去を書く」(お代は(全部)見てのお帰り♪)

[note]ではエッセイにしてもコラムにしても個人的なことは書かないようにしようと思っていた。それは個人情報の問題ではなく、ひとによっては「愚痴」「悪口」に読まれてしまうかもしれないからだ。過去のことを書けば、どうしても感情が出てしまう。それにネット・リテラシーなるものもあるようだし。自分や自分の小説を知ってもらいたくてSNSを始めたのに、mixi→Twitter→Facebookとやればやるほど喧噪の中の孤独を感じる。「自分なんかに誰も興味を持ってないだろう」という卑屈な気持ちがより一層強くなった。1人が好きなクセに結局は「かまってちゃん」かもしれない。
編集者やライターは雑誌や書籍など本来の仕事で自分の意見や感想を書くものではない。第一人称もいらない(その雑誌のスタイルや特別な場合を除く)。黒子に徹する(←黒柳徹子に空目するね)。縁の下の力持ちでいい。誰かに習ったわけではなく、そういうものだと思って出版業界で30年間やってきた。自分の感想を書いたところで「おめー誰だよ」「てめーの感想や意見なんて聞いてねーんだよ」と言われるのがオチなのも重々承知している。だから今も感想を述べたり、意見を書くことに何となくまだ抵抗をおぼえる。「私ごときがエラソーに何言ってんだ」という感じだ。小説なら全然平気だし、照れもないのにエッセイになると迷いが生じてしまう。自分の名前を出して勝負しようと思ったが案外、踏み込めないところがあるのだ。
10年以上前の出来事だ。確か「9.11」があった年だった。ある大手出版社の編集さんと雑談をしていた際に「私にエッセイを書かせてくれませんか」と言ってみた。今、有名なエッセイストやコラムニストも誰にだって「初めて」はある。それからどういう成長を遂げるか、売れていくかは別にしても誰にでもある「初めて」の機会を私にも「くれませんか」と言ってみたのだ。その同世代の男性編集者はこう答えた…。

「キミの人生はおもしろくない」

そりゃあ、私は整形手術を繰り返したり買い物依存症だったりなんてことはない。ダメな男に引っかかったこともない。アブノーマルな趣味もなければ、闇社会に縁もなければ興味もない。大病を患って闘病生活を送ったこともない。そんな「検索キーワード」がなければ本が出せないのか。エッセイを書いてはいけないのか。大学も出てない女が結婚も出産もせずに編集者・ライターとして自律神経失調症になり長年貧乏しながら働き続け、お笑い業界のウラをみっちり見てきた挙げ句に原稿料未払いの憂き目に遭い、別の版元倒産によって企画が流れ、借金を抱えて債務整理をする(自己破産ではない)ハメになって、編集者を辞め、都落ちをした時に初めて書いた長編小説が最終選考に残ったが大賞を逃し、再度上京して翌年にまた最終選考に残ったがまたまた大賞を逃し、バイトしながら(今は無職)小説書いてる人生はそりゃあつまんないだろうよ!(ゼェゼェ)
私は気が強そうに見えるらしいが結構、神経が細い。笑い飛ばせばいいのだろうが、溜めておくと体調が悪くなるタイプだ。泣きはしないけど。でも、エッセイ執筆をストレス発散に使うつもりはなく、書くからにはなるべく冷静に客観性を持って書こうと思っている。「冷静さ」と「客観性」は編集者としてのテーマだった。そろそろ身を削りたくなってきた。自分の意見をどの程度書けばいいか、自分の過去のエピソードはどういうものならいいのか知るのも訓練だ。それに、私のエッセイで「知ってほしいこと」もある。それは「こういう道筋もあるよ」ということだ。出版業界のウラを知っているが暴露本にするつもりはさらさらない。「出版業界残酷物語」にするつもりもまったくない。ただ「こういう編集者のなり方もあるよ」「私が小説を書くまでの経緯はこうだよ」と言いたいだけなのだ。6年間の「放送ライター講座」講師の経験もある。決して説教臭くなく、お教えできることもある(でも、決して頼りになるおねえさんタイプじゃない。それに「いいひと」でもない)。
私、身を削ってみてもいい? 自分の歩んできた道を綴ってもいい? なるべく暗くならないように、笑える話に転化させるからね。ああ、でも恨み言みたいになりそうでこわいなぁ。物書きや表現者は決して聖人君子じゃないからさぁ。「荒ぶるかまってちゃん」だからさ。「いいよ」「ちゃんと読んであげるよ」という方、いるかなぁ。いるかなぁ?~∈(# ゚◎゚)∋
(終わり)

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