なあち

京都市在住2男児の母。 コロナ禍をきっかけに自分の人生にスイッチが入る。ふと目にとまっ…

なあち

京都市在住2男児の母。 コロナ禍をきっかけに自分の人生にスイッチが入る。ふと目にとまったマドモアゼル愛先生の月の欠損論への衝撃から、じゃあ自分にあるものって?自分にしかできない事って?何をする為に生まれてきた?私が今生で叶えたいことは?日々探求の旅の途中。

最近の記事

美味しいの記憶

わたしは食べるのが大好き。 だからなのか食べることにまつわる記憶がたくさんあって…。 美味しい記憶の一つは、正月の食卓。    子供のときは、おじいちゃんを囲むように親戚一同が集まって、みんなで1日中食事を楽しんだ。大晦日からその宴はスタートするのだが、煮しめやら栗きんとんやらが並び始める。もちろん、それに手を付けて良いのは年が明けてから。 正月の朝10時くらいからどんどん食卓の上が賑やかになる。             黒豆やおせちのようなものも恐らくあったんだけど、

    • 書くことは瞑想

      文章を書くことが特別に好きと感じたことはなかったんだけど、なにかに感動した時や気持ちを整理したいとき、私はいつも「書く」事を手段として選んでいたように思う。 書くと不思議と考えがまとまるし、空にふわふわと浮かんでいるアイデアや記憶をしっかりキャッチしたり、インプットしたりするのに、私にとってはなくてはならない。 いつか「書くことは瞑想」といった一文を見つけた。そう、書くことは心を穏やかにする一つの手段でもある…。 話すことも好き。関西の人間なので、「笑い」には貪欲で、日

      • ココロの声に

        占星術でいうところのドラゴンヘッド(今生の課題)とキロン(癒やすべき傷)ともに5ハウスにある。 5ハウスは表現や愛、遊びやクリエイティブの部屋。そこに自分の主要な天体はなく、ドラゴンヘッドとキロンがチョンと鎮座しておられる。 私の創作コンプレックスはここからきてるものかもしれない。消えるどころか膨らむばかり。 周囲には作家として表現活動をしている友人や、仕事をしながらも作家活動をしていたり、自分の仕事をクリエイトしている人たちが沢山いる。みんなそれぞれに苦労も沢山あるか

        • 創作コンプレックス

          私の持つ創作コンプレックス… これは非常に根深い。60歳になったら子供が大きくなって、まとまった自由な時間ができていて…と60歳の自分ならばやりたい事ができている!という幻想。 「私は何かを創る人になりたい」 「場を創りたい」 「それで食べていけるようになりたい」 その願いから抜け出すことは、いつまで経ってもできない。 何度も何度も、繰り返し繰り返し望みは膨らむばかり。 60歳になったら、倉敷の織りの研究所に1年住み込んで、織りと暮らしを学びたいと思っていた。で

        美味しいの記憶

          私が放つヒカリ

          自分に欠けているものが優しさだとしたら、自分って何て欠けた部分の大きな駄目な奴だ…と落ちるような気持ちを味わった。 だけどもそれを求めなくていいというのは、ちょっとした希望の光のような気がした。 私はもっと人の目を気にせずに、言いたいことを言ったり、やりたいように主張してもいいんじゃない? 太陽星座はてんびん座9ハウス 私にあるものを知る旅がはじまり。占星術は調べれば調べるほどに色んな情報を見つけることができたので、もう楽しくて楽しくて。 その中でも石井ゆかりさん、

          私が放つヒカリ

          叶えたい自分像

          マドモアゼル・愛先生の月の欠損論に出会ったことが、すべての始まりだった。 コロナ禍をきっかけに、私は世の中の人の発信の数々に心救われる事が増えた。 ハンバートハンバートが毎週配信をしてくれる、自宅の庭での音楽ライブ。マーマーマガジンの服部みれいさんのライブ配信。   人の暖かさに触れたくて。 その中でふと耳が…とゆうよりか、心がキャッチした、マドモアゼル・愛先生の月の欠損という考えが、ものすごく深いところに突き刺さった。 占いというものに自分はものすごく引っ張られてし

          叶えたい自分像