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ビール屋として今できること〜ビールが暗闇を照らす金色であるために〜

色々なニュースを見るに連れて何を信じて良いかわからなくなる昨今ですが、僕は駆け出しとは言え、ビールを信じる、ビール屋です。ビールを売るだけでなく、ビールを通じて人が胸を開き交流する、そして今までに会ったことのないものに出会える機会を作るということ文化を提供すると考えると、自ら考え、ビールを通じて作りたい世界を信じなければいけない。

そう思い、これまでの心の動きと決意をまとめてみました。

■気づかずうちに起きている変化

松屋で一人ご飯を食べていると、気になるのは定食の食べ方。いきなり肉にソースなりポン酢なりをかけている人を見ると、いつも立派だなと思う。

僕なんか、何を意識してか、味噌汁をすすり、野菜を食べてから肉を食べるときには、悲しいかなもう肉は冷めているんだよ。ほんとにちっぽけ。

そんなちっぽけな人間は、堂々としていられないから、マグロのように動き回ってないと死んでしまうと言い訳しながら、コロナウィルスのニュースに一喜一憂し、結局携帯ゲームをしてしまう。ゲームをしていると出てくる広告に惑わされ、気付いたらなぜか漫画アプリをダウンロードし、「静かなるドン」を人生で初めて見る。明らかにありえない設定に一喜一憂し、そんな人生も良いなと憧れる。(特に夜)

全部コロナのせいだ!というのは簡単だけど、本当は言いたいのに言えないこの気持ちこそがウィルスなんじゃないかと思う。「ウィルス」と打とうとすると「ウィルスミス」と出てきて、「あ〜彼は何歳だったっけかな〜?」と検索し、またまた無駄な時間を過ごす。

こんな無駄な時間を有意義に使っていれば、今頃立派なロシア語辞典を読み切り、今頃「I Love you」くらいロシア語で言えたかもしれない。

そんなこんなで、twitterを見てたら「走れピルス」なるめちゃくちゃ素敵なビールの名前を見つけ、他人のセンスに凹みながら、また携帯画面に戻る。

ちょうど7年前の今頃、ヒマでヒマで(ちゃんと稼げていた)気付けば昼から飲みにいく日々の時に感じた「俺、いる意味あるのかな?」感。自粛自粛が続くと、やれることが無くなって、もっともっとヒマになって、多分、一番失ってはいけないやる気を失ってしまう可能性がある。それは冷めた焼肉よりまずい。

■ビール屋として

リアルを大事にやってきた活動ができないというのはやっぱり僕にとっては困ることで、それでも、朝も昼も夜も外でご飯を食べる生活してて思うんだけど、もう人に接触しまくってる。というか生きてる上で人と接触しないことなんてありうるのだろうか。

で、こんな話が先日記事であった。

その通りだなと思って、理論もあり、納得できるけど、それって確率論だから、本当に感染させたくないなら、日本全国、皆外に出ず、数週間篭るしかないのではないだろうか。で、僕は忘れてたけど、携帯ゲームをやりながら、深夜のスナックで、「Teenager Forever」を歌う39歳のおっさんではあるけど、ビール屋だ。ウィルスと菌は違うけど、ビールは偶然の見えない産物のおかげで生まれたものだ。

いい菌と悪い菌、それは僕らが勝手に決めていることで、完全に無くすのではなく、共存していく、そして重症化させない、そんなことが必要なんではないだろうか。

■参考すべき2つのツイート

ここに2つのツイートを紹介する。まずは、武術家甲野先生のツイート。連続ツイートなので、全部を載せることができないんだけど。

しかし、そうした中で日本こそが「和を以て尊しとなす」思想を実践して、こうしたウイルスも存在している以上、撲滅を図るようなことはすべきではないという考えを示してもらいたいと思う。(とても無理な話だとは思うが)

なぜならこのウイルスの撲滅を図れば、またさらに厄介なウイルスが出現し、それをなくせば、もっと厄介なウイルスが出てくると思うからである。

こうしたウイルス性の病の拡散は、この地球上で我が物顔で他の生物を滅亡に追い込んでいる人間への警鐘として考えることが必要なのだと思う。

「得るものがあれば失うものがある」は、この世の大鉄則で、自分達にだけ都合のいい状況を作ろうとすれば、必ずそのツケが返ってくることを、現代人は肝に銘じなければならないと思うのだが、現在はこんな事を言っても殆ど耳を貸してもらえないだろう。

これよく思っていたんだけど、無菌・除菌が進み、異物が入ることを極端に恐れることって、多様性なのかな?とよく思う。多様性とは受け入れるだとすると、もう全然受け入れてないですよね。戦いながら、境界線をなくしていくのは受け入れると比較的近い意味だと思うけど、撲滅することって本当にできるのかな??と思う。

もう1つは、哲学者東さんのツイート。これを言うために復活したらしい。

人類社会はずっと感染症と共存してきました。新興感染症は定期的に現れます。21世紀に入ってもSARSと新型インフルがありました。これからも現れるでしょう。そのたびにこのような大騒ぎをするのか。そういう観点から考えねばなりません。

感染症の拡大を防ぐ、それはだれも反論できない正義です。けれどもそれは同時にまったく無意味な言葉です。なぜならば、極論すれば、感染症の拡大を防ぐためにはそもそも社会が崩壊したほうがいい、ひとはだれにも会わないほうがいいからです。でもそれはできない。だから中間を議論すべきなのです。

生きることはリスクとともに暮らすことです。たとえば東京は「今後30年で首都直下地震が起きる可能性が80%」と言われている土地です。それでも1000万人が住んでいる。生きるとはそういうことです。問題はつねに「どこに線を引くか」です。政策が極端であればあるほど支持される状況は不健全です。

表現は違えども、僕には似たような指摘に取れた。身体的にも哲学的にも方向性が近いということがわかる。

■ビール屋として再び決意

中間というか、「輪郭」というのは時として、いい方向を生まないのではないかと。

それって言ってしまうと、ビールが同じ味を目指して工業化(均一化)して行った系譜で、それを変えよう=農業化(目指せ自然)の動き、それは曖昧の楽しさではないんだろうか。だから、この輪郭を少しボカしてもいいんじゃないかと思う。

輪郭をぼかすには焦点をずらしたり、メガネを変えたりする(外したり)しないといけない。それを僕らのような立場で言うならば、これまでと同じことをするのではなく、何かしら変えていく。やらないではなく、変えながらやっていく。それはひょっとすると進化の過程なのかもしれない。

で、僕はビール屋であり、クラフトビールの楽しさをもっと多くの人に体験して欲しいと活動をしているので、すごく迷ったけど、自粛期間は先の発表に合わせて3/19(木)までとし、夜のお店での活動を少し変えながらやっていきます。ただイベントをやるのではなく、1つ1つ工夫を意味を付け、輪郭をぼかし、耐性を上げていきながら何より楽しむ。そして安全にも配慮する。

そしてビールの販売や諸々の計画も少しずつ変えて発表していければと思います。ここまで時間かかりました。本当先週はなんか生きている気がしなかった。(ゲームのせいか・・)

まあ言ってしまえば、これまでとやることは変わらない。そこにちょっと自信がなかったので、少しずつやっていければと思いますし、そして、いつもお世話になっているお店にも貢献できるような企画もしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

そして「ビールが暗闇を照らす金色」であり続けますように。

大森山王ビールが飲める店はこちら。僕もできる限りお店に貢献できるよう、日夜努力しています。

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