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ただ感じてること。

こんにちは。ご機嫌いかが?

今日はずっと感じている違和感を書きたいと思います。
おそらく私の勉強不足や、アンテナが鈍い部分もあっての感情などがありますが単純にそう思っていて、自分はどうするかっていう話をします。

色々と主語がでかいんですがどう書けばいいかわからず、文章力の限界なので、「自分は違う」と思う人はそう思いながら読んで下さい。
どうか怒らないで。特定の誰かに向けたものじゃないから、あなたが怒ることでもないのです。

日本のNFTアートの市場って結局ぐるぐる回っているだけなのでは?と思っています。ただ思うだけで実際は違うかもしれません。
分析とかしたわけでもなく、活動していて思っているだけなので違ったらごめんなさい。
あとこれもなんの根拠もない私の体感ですが、コミュニティに所属している、誰かとのつながりがある、どこかで紹介されてる、それだけで満足して作品に向き合えていない人は多いのではないでしょうか。
楽しくやりたくてそれでいいのならいいのですけど、私はどうしても混ざることはできず基本的に親しい人はあまりいないぼっちです。
何かを否定したくて書いているわけではありません。
ただ、「これは一体なんなんだろう」と思うことが多いというだけです。

高尚ぶりたいわけではなく、なんとなく違和感があるというだけなんです。
アーティストに求められているのはマーケティングやブランディングの能力ではなく、作品そのものであってほしいと常々思います。
まぁマーケティングやブランディングが大事で、避けて通れないのはわかりますが、今の日本のNFTアート界隈にはなにか違和感を覚えてしかたありません。
言い方を悪くすると馴れ合いになりがちなのではないかと思います。
これは国内外どっちも起こり得ることなので日本だけとは思いません。

まぁでも国外のことをよく知っているかと言われると知らないとしか言えないんですが、ただ国内はもういいかなって思っちゃうことが増えてきました。
それはNFTアートでもボクセルアートでも同じで、ひとつのなにか大きな出来事や有名な人がでてきたらみんなそれに流れていってしまうので多様性もなにもあったもんじゃないなと。
がっかりしているわけじゃなくて、私は合わないなーって思うというだけです。
もしかしたら、私はダメなやつで周りのほうが自由で楽しくやっていてめっちゃいいのかもしれない。
だけど納得できないものは、どうにもならないので仕方ないのです。

NFTアートを一旦やめようとしたのは、そういった息苦しさがあったからです。
やめるのをやめたのは、SuperRareの審査を通って海外でも戦えるかもしれないという道を見つけたからです。

国内でもてはやされているものは外から見たらそうでもなく、国内でそうでもないものが国外から評価されているのはよくあることです。

いろんな場所で息苦しさを感じてきました。
学校やインターネット上のコミュニティ、オンオフ問わず私はあまりコミュニティに所属できないタイプだと最近気づきました。
もうそれに合わせて生きていくしかないのです。

多分この記事は反感を買うかもしれません。
でも考えてみて下さい。所詮ただのフリーランスの独り言みたいなもんです。
どう思ってもいいんですが、そこからどうするかは自分次第です。

息苦しさから抜け出すためには何かを変えることが必要で、きっとそれはひとりでしかできないものもあるということです。

ひとりが好きなわけではないですけど、結果としてそうなってしまうということは私に問題がある可能性も大いにありますがもうそれでいいです。

自分の声を信じることが大事だと、いくつかの人生の分岐点を通過して思いました。

なんとなく頑張っていきたいと思います。


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