見出し画像

緑色の髪の毛

「30代後半になったら髪の毛暗くしてね」
以前、家族に言われた言葉だ。
一瞬意味がわからなかった。なんで?何が影響あるの?という感じで。
家族の中では落ち着いた大人になってほしい、という気持ちがあったと思う(多分)
これは私が30歳のときに言われて、今は32歳、今年で33歳になる。まだ後半ではない。
そして言われたときの髪の毛の色はミルクティーベージュぐらいの明るさだった。

30歳のときに言われた言葉を胸に生活してきて、その後まぁ色々あり離婚が決まった。
その後がこちら。

緑がすごい時
緑色が落ちてきた
これぐらいが好き

明るいなんてもんじゃない、緑だ。私の髪の毛は緑色だ。
髪の毛の色が派手だとみっともない、そういう考えは今でもあるだろう。
似合う似合わないもあるし、世間体もあるし、まぁ染めない理由なんていくらでもある。
でも、染めたい理由はひとつしかない。
「緑にしたらいい感じじゃない?」
ただそれだけ。それだけで気持ちは軽くなり、鏡の自分がにっこりする。

これは髪の毛に限った話ではなく、すべてのことがそうだと思うけど「◯◯歳になったらこうしなさい、こうでなければならない」「世間によく思われるようなスタイルでいなさい」そういうものが暗黙の了解としてある。

私は30歳になるまでひとりで外に出るのが怖かった。仕事もできなかった。
普通であればひとりで外に出るなんて子供の頃に克服していることだ。
仕事も学校を卒業していれば就職しているのがいわゆる『普通』だ。
それができなかった。他にも、バスに乗れない、電話ができない、等々できないことをあげたらきりがない。
その年齢ならできることができないのは恥ずかしい、そう思っていた。

32歳になって、ひとりで外にでることができなかった私が、今故郷の沖縄を勢いで飛び出し神戸に住んでいる。もちろんひとりで外に出るしかない。
働けなかった私が働いてる。フルリモートでうまくやっている。
電話ができなかった私が、病院へ電話したりクライアントと電話したりしている。
なぜかできるようになっていた。

できるようになるのはタイミングがある。ある日突然できるときもあるし、頑張ってどうにかできるようになることもある。
できなくて困らないならできないままでも構わない。
できなくちゃ生きていけない、となったときに頑張るのもいいだろう。

ここで冒頭に戻る。
「30代後半になったら髪の毛暗くしてね」
これもそういう「一定の年齢になったら当たり前に」ということだと思う。
でも本当にそれでいいのか。その言葉で何かを失っていないか。
相手に悪気がないのはわかっているし、一般的にはそうなるのもわかる。
ただ私にはそれができなかった、まだ後半ではないけど多分できないのでできなかったでいい。
きっと40代ぐらいでも好きな色にするし、満足したら鏡の中の私はまたにっこりする。

自分がしたいことを誰かのために我慢するのも時には大切だ。
パートナーのため、親のため、子供のため……理由は色々ある。
でも、特にそういう理由がなかったら。天秤にかけたときに、自分らしさが勝ってしまったら。
色々な犠牲はあれど他人を不幸にしなければ、自分が幸せになるようにしたほうがいい。

緑色の髪の毛なんて、私が生きていく上で何の危機にもならない。
逮捕されるわけでもないし死ぬわけでもない。
ただ満足するだけだ。それを許容できない人もいるが、もうしょうがない。
来世で仲良くできたらいいですね、という感じでいい。

緑色の髪の毛は、私だ。何もできなかった私が最初にできた『自分らしいこと』だ。
自分らしさは年々増えていき、一般から徐々に離れている。
でもまぁ、本来の自分がそうならしょうがない。来世でもそうかもしれない。

今日もまた次はどれぐらいの緑色にするか迷っている。

サポートしていただいたものは活動費として使用させていただきます!がんばりますよ!:D