見出し画像

やさしい人狼とは何か?

もうすぐSteam版がリリースできそうなので、いま闇鍋人狼について考えていることを書きます。

去年、モバイル向けに闇鍋人狼をリリースしてからちょうど1年くらい経ちました。まさかリリース済みのタイトルにずっと時間を使っていることになるとは思わなかったんですが、PC版/ゲーム機版への展開でなんやかんやしてたらあっという間の1年でした。

主にプラットフォームごとの最適化を中心に進めていたので、ゲームの内容は大きく変えることがなく、おかげで「お客さんの前に出した上でこのゲームについて考える時間」が増え、結果的にかなり言語化できてきました。

言語化できてきたというよりは、今まで考えが整理できていなかったことが分かってきた、という方が正確です。その状態でお客さんの前に出していたんだなあということを思えば、俺達は雰囲気でゲームを作ってる!とはよく言ったもので、改めてフワっと作ってるんだなあと実感している次第です。

去年の段階でも考えていたことは記事に残していて、概ね主張は同じなんですが、時間をかけたことで確度が上がってきたぞ、という感じです。

というわけで、改めて闇鍋人狼の企画意図について書いていきます。今回から何回かに分けて、ゲームの仕様について触れつつ、どういう意図があるのか、なんでこうなってるのか、などについて解説します。

具体的なゲームの内容や攻略についての話ではないので、プレイヤ向けというよりはデザイナ向けの内容になる予定です。将来、似たようなジャンルのゲームを作る人が何か参考になればいいなと思います。

厳しい正体隠匿系とは何か?

闇鍋人狼は、一言でいうと「やさしい正体隠匿系」であることを目指しています。去年の時点では「遊びやすくする」という言葉を使っており、概ね意図は同じなんですが、達成しようとしていることをより上手く表現できるのが「やさしい」という言葉なのでこっちにしています。

「やさしい」っていうのがどういう状態かを考えるには、その反対の状態について考えるのがいいでしょう。

便宜上、やさしいの反対を厳しいとします。厳しい正体隠匿系。たしかに、正体隠匿系ってちょっと厳しいとこありますよね。なんとなく野良で入った人狼の卓でチャットの流れが超速くてだだーっと専門用語が流れてきたりだとか、AmongUsでマッハで吊られてしまい、相方のインポスターを置き去りにしてしまったときなどは厳しさを噛み締めたものです。

筆者は特に「味方に迷惑かけちゃったなあ……」ってときが辛いです

殺し合いの世界観だとか、怖い人に激詰めされて泣いちゃっただとか、厳しさについて思い当たる節は色々あると思うんですが、端的に言うと厳しい状態の最も大きな要因は「学ぶ環境が薄い」ことだと思っています。

例えば、初めて人狼で遊ぶ人がたまたま占い師を引いてしまって、騙りに対抗で出ないまま噛まれて負けてしまったという状況があったとします。これは占い師のプレミと言っていいでしょうが、初めて遊ぶ人にそんなことを言うのは厳しいですよね。

何事もゲームとして割り切れる人や慣れている人にとっては全然平気なことかもしれませんが、例えば想像してみてほしいんですが、いつ殺されるか分からない村に突然放り込まれたみたいな状況になったら自分の正体を明かすのはやっぱり怖いですよね。初めて遊ぶ人っていうのはそんな状態なんだと思います。

そういう、戦略や定跡などのゲーム前に把握しておくべきことを知る機会が無く、実際に体験してみて体で覚えるしかないという状況に、殺し合い・騙し合いという世界観も相まって近寄り難くなっている、というのが厳しさの正体だと思います。

正体隠匿系の分解

多くの正体隠匿系ゲームは論理パズルとトークアクションに分けて考えることができます。論理パズルっていうのは、AさんとBさんとCさんがいてそれぞれ、

  • Aさん「Bさんは正直者」

  • Bさん「Cさんは嘘つき」

  • Cさん「Aさんは嘘つき」

と言っていて、1人だけ必ず逆のことを言う嘘つきがいるとき、それは誰でしょう?みたいなやつです。こんなふうに整理されて並べられていて、1人でゆっくり考えられる状態ならそんなに難しくない問題です。

ただ、これがリアルタイムのお喋りの中に内包されるようになると一気に複雑さが増します。「私の正体は占い師です」っていうのは論理的に意味のある発言ですが、「Cさんは目がキョロキョロしてて怪しいから追放したい」っていうのは論理的には意味のない発言です。こういう、パズルとトークがごっちゃになっている状況も厳しいと言えるでしょう。

もちろん、ごっちゃになっているからこその良さというのもあって、オカルトを理由に詰めてきたっていうこと自体が疑惑にもなり得るし、盤外の振る舞いに自由度があるからこそ演技やパフォーマンスの上手い人が輝けるというのはトークゲームの魅力でしょう。

いつ何をどんな風に言うべきか。わざとらしく間をおいて言うのか、相手の発言に被せるよう食い気味に言うのか。ゲームが終わった後「あのときもっとこう言えばよかった」とか「次はこんな振る舞いをしてみよう」と思えるのは、よくできたアクションゲームに似ていて、段々できるようになってきたときの面白さたるや、ゲームの醍醐味と言っても過言ではありません。

筆者は人生の数%をこの画面で「もっとこうすれば良かった」と後悔に打ちひしがれることに費やしています

初めて遊んだ人でもそういう状態にスムーズにたどり着けるようになるのが目指すべき場所です。そのために、ごっちゃになっているものを整理して丁寧に伝えていく、というのがやさしさなんだと思います。

やさしさにも色々ある

ここで、既存の試みをみてみましょう。たとえばワンナイト人狼や人狼ドッチとかは、人狼の駆け引きをそのままに、時間を短くしたりランダムな要素を増やしたりで全体的な体験をコンパクトにまとめています。既存の人狼がやさしくなるようなアプローチであると言えるでしょう。

ボードゲームショップの『正体隠匿系コーナー』は筆者の好きな場所です

他にはグノーシアやレイジングループのように、ゲームの内容は大きく変えずそれを分かりやすく伝えるのもやさしさだと思います。これらは「1人でも遊べる人狼」という点で共通しており、CPUを相手に、あるいは物語を読みながら人狼ゲームを体験できます。殺し合いが起きる恐ろしい閉鎖空間に放り込まれることになるので、世界観やゲームの雰囲気は「やさしい」とはかけ離れてはいますが、丁寧に説明する、1人でじっくり考える機会がある、という点は「やさしい」と言えます。

レイジングループ。めっちゃ怖いけど、じっくり説明してくれるのでやさしい

これらの例は、必ずしも厳しい要素をやさしくしようという意図だけで作られたものではないはずですが、参考にできる部分は多いでしょう。

闇鍋人狼とは何か?

というように、正体隠匿系ゲームには厳しい部分があるよねっていうのと、どうすればやさしくなるのか?っていうのを既存の試みを参考にしながら積み上げていくのが、闇鍋人狼だったんだろうなと思います。

だったんだろうな、っていうとまるで他人事のようですが、先にもあった通り、最近になってようやく言葉にできてきたっていうこともあり、既に実装されたものを改めて自己評価しているという気持ちではあります。

なので、言ってる割にはあんま上手くいってない箇所があったり、今自分で見ても他にやりようあったなあとも思う箇所もあるんですが、知見を残すことが重要なので、あんまり繕わず正確な情報を書こうと思います。

次回は闇鍋人狼に野良マッチが無い話をする予定です。

あと、ここまで読んでもらって今更なんですが、今回こういう記事を書き始めたのはもうすぐSteam版がリリースされるからです。去年と比べたらより多くの方に協力してもらっているので、少しでも宣伝になればと思い書き始めた次第です。ぜひウィッシュリスト登録お願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?