よく生きるためによく書く

5月1日から毎日投稿することにしました。ひとまず5月中は続けます。内容・形式はその日まかせ、なんでもありにします。
ルールを3つ決めました。①毎日投稿する②はじめた話題は完結させる③タイトルをつける です。

最近、よく「私は何を書きたいのだろう」という思いが浮かびます。ここ数ヶ月、以前よりもnoteを更新していて、投稿する話題を取捨選択する機会が増えたり、他の方の投稿も読むようになったり、ということが影響していると思います。考えてみましたが、現時点では内容・形式のどちらについても特定の“何か”はなく、「書きたいだけ」だと感じました。
また、「読まれる文章とは何か」についても考えます。読み手が、時間を使って他者の文章を読むにあたっての決め手は何か、ということです。内容に価値を感じる、言葉の表現が良い、書き手に価値を感じる、あたりの要素が思いつきましたが、今のところ私の文章に当てはまるものがあるとは感じません。どんな内容に価値を感じるかは読み手によるとは思いますが、記事が客観的な価値を持つような専門知識や珍しい経験などを私は持っていない、ということです。ですが、閲覧数を増やす必要はない今の状況で、“読み手にとっての価値”を指標にしすぎても、前が見えなくなるだけのような気がしました。もちろん、結果として多くの方が読んでくださったら嬉しいですが。

「書きたいだけ」。小学生の頃から、書くことは私の一部です。当時はメモを取るのが特に好きでした。今に至るまで好きです。中学生の頃はやりきれない思いをカラーペンで書きなぐる日々を送りました。文字も内容も恥ずかしすぎてそのノートたちは捨てた記憶がありますが、今となっては読みたいものです。高校生の頃からは、思いついたことや考えたことを書くことが増えました。ほとんどはノートやパソコン、スマホのメモに眠っています。私はよく起こしに行きますが、他者には非公開です。どれもこれも自己完結ですが、書いた文章を公開してみたいとは昔から思っていて、2年前にようやくこのnoteを始めることができました。書ければわくわく、文字を打てれば満足、ではありますが、誰かに読んでもらいたいようです。

特定の書きたい内容・形式がなく、読まれるための要素も必要もなくて、ただ書きたい。そして誰かに読んでほしい。じゃあ量を公開してみよう、という運びになりました。

毎日投稿は、私が、自分の「書く行為」とうまくつきあうための試みです。
書くことは、私にとって、体調悪めでも気分が重くてもできる最後のことで、暗さも明るさも、この世界のどんなことも、受けとめてほどいてくれる、大切なパートナーです。手放したくありません。納得するものを書ける人生にすることが夢であり、目標です。諦めるものじゃなくて、他人が決めることでもなくて、自分で関係性をつくりあげて良いのだから、もう少し足掻いて、相手のことをよく見てみたいです。

毎日投稿するならば、話題を取捨選択することが減ると思いますし、何も浮かばない日もあるかもしれません。そのような状況で、何を書くのか。今は見えない景色が見られる気がして、わくわくしています。日記やエッセイ以外のものも書けたら良いなと思いながら、とりあえずやってみます。

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