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「第二の人生」(「とりかへばや物語」の二次創作②)

 弟は僕と違って何でも持っていた。
「見た目はそっくりでも中身は違うのねぇ」
 周囲の何気ない一言は僕の心を何度も刺した。致命傷ではないものの傷跡は増える一方で、消えることはなかった。
 親が否定してくれれば良かったと大人になった今でも思う。
 だが誰よりもその両親が僕と弟を比較した。
 弟との年齢差はほんの数分。
 僕達は双子として生まれた。
 
 あらゆる幸運が弟へ降り注いだ。
 成績も運動神経も良い弟。女の子から告白されるのも弟。
 僕が好きになった子は悉く弟に取られ、一度は弟と間違われて告白され、直後に振られるという酷い目に遭った。
 弟が自分の幸運を鼻にかけて僕を馬鹿にするようであれば、かえって救われたかも知れない。
 しかし弟は性格まで良かった。僕を庇い、差別する両親を責めた。
(庇われるのが惨めだなんて思わないんだろうな・・・)
 僕は弟の好意を素直に受け取ることが出来なかった。

「母さん。高校は別の所に行かせてよ」
 弟が入りたい部活がある高校は通える範囲内に私立しか無かった。学力で選べばもっと難関校を狙えるのだが、本人がそこへ行きたがっていた。優秀な成績で入学すれば学費は免除される。弟はそれを見込める頭脳があった。
「僕は公立にするよ。入れる所なら遠くてもいいから」
「でもねぇ、同じ高校なら持ち物も情報も共有できるでしょう。学費だって兄弟だと割引もあるのよ」
 親は費用と手間を惜しみ、僕の要望は聞き届けられなかった。

 高校に入学する頃には僕の感覚は麻痺していた。
 金の雨のように天から幸運が降り注ぐスター。それが弟。僕は舞台袖で待機する黒子。僕は周囲からの揶揄を流すことや、惨めさを無視することが上手になった。
(大人になれば家を出られる)
 弟と道を分つことが僕の目標になった。学校を出て就職してひと安心と思ったのだが・・・そうではなかった。勤めていた会社が倒産して途方に暮れた僕を拾ってくれたのはまたも弟。弟は大学の在学中に起業していた。
「俺の会社だとやりづらいでしょ?」
 弟は知り合いの会社に再就職を斡旋してくれたが、所詮双子だ。
「あれっ?取引先の社長がなんでうちのデスクにいるんだ?」
「いや、あれ双子のお兄さんなんだって」
 そんな小声のやりとりを何度聞いただろう。僕は少年時代に培ったスルースキルを発揮して毎日を乗り切った。一、二年が経つと周囲も慣れてくれて、ごく普通の地味目な子だけど彼女が出来て僕は結婚した。

 結婚は思った以上に心の重荷を軽くしてくれた。
 両親や弟と訣別した訳ではないが、自分が所帯を構えたことで精神的に距離が出来た。妻の実家との付き合いにより他の家庭を垣間見て、当たり前だがそれぞれの家族の形があると知った。
 僕のほんの小さな、手の平サイズのささやかな家庭。
 人並の給料と大人しい奥さんと賃貸の住まい。実は弟が結婚祝いに新築の頭金になる位の祝い金をくれようとしたのだが、夫婦で相談して断った。
「有難いけど、それをあなたが一生負担に感じるのは嫌」
 妻の決断が僕にはとても嬉しかった。

 離れて見る弟の生活は公私共に相変わらず華やかだった。
 会社の経営は順調で元モデルと交際して結婚。その結婚披露宴にも以前の僕なら遠慮して出なかっただろうが、今の僕は素直に出席することが出来た。地味で控え目な奥さんを連れて、普通におめでとうと言えた。新居の披露パーティーにも招かれた。一流のシェフが料理を並べ、参加者には著名人の顔もあった。夜が更けて庭のプールにシャンパンが注がれる乱痴気騒ぎになりかけた頃、僕は妻に帰宅を促した。
 帰る際弟が詫びを言いながら見送ってくれた。
「すみませんお義姉さん。妊娠している方の前でこんな大騒ぎになって」
 ささやかな僕の家庭にはもうすぐ構成員が増える。
「いいえ、気分転換になって楽しかったです。お招きいただいてありがとうございました」
 家に帰った僕は妻に言う。
「なんか、ごめんな。おんなじ顔なのに向こうは豪邸でさ」
「何言ってるの。おんなじ顔でも弟さんみたいな人だったら、私結婚してないわ」
 妻が笑う。
「でもあいつ性格も良いんだよ。暮らしぶりは派手だけどさ」
「うん、それは分かる。だけど・・・」
 妻が首を傾げた。
「なんだろう・・・私今、妊娠で色々過敏なのかも知れないけど・・・弟さん、本当に幸せなの?」
「えっ?そりゃ、あんなに成功してるんだから」
「そうかな・・・うん、そうだよね・・・」
 妻が何か言い辛そうにしているので、口を開くように促す。
「うーん・・・あの、ごめんね?本当に気のせいだとは思うんだけど、弟さんと奥さんってうまくいってるのかな」
「えっ!?だって新婚だよ?二人ともご機嫌だったじゃない」
「あ、うん、私の気のせいだと思う。けど、人が見ていない所の二人がぎこちなく見えたのと・・・弟さんが一人の時の顔が何だか寂しそうだったのと・・・ホントごめん!おめでたい時に言うことじゃないよね。ごめんね?」
 その後口止めされたので誰にも言わなかったが、妻の予感は的中した。
 日をおかず弟たちは離婚。理由は奥さんの不倫だった。
 若い成功者である弟にはすぐに他の女性が群がり、そのうちの一人と再婚したがまたも続かない。ある日僕は弟を飲みに誘った。

「こんな居酒屋で悪いな。お前のことだから、誘う人間なんて幾らでもいるんだろうけど」
「いや、すごく嬉しいよ・・・あのさ、何げに二人で飲むのって初めてだよね」
 弟は意外な程喜んだ。安い焼酎割りで乾杯し、冷凍をチンした枝豆も喜んで食べた。
「でもよかったのかな。兄貴の所赤ん坊が居て大変だろ。そんな時に飲みに出るなんて」
「いやあ、たまには出かけたらって嫁さんから言ってくれたんだ。今日は子ども連れて実家に帰ってるから大丈夫だよ」
「そっか。奥さんにまで気を遣わせちゃったか・・」
「お前のことだからホント心配いらないんだろうけどさ。うちの親も死ぬまで自慢してたよな、トンビが鷹を産んだって。まぁ一羽だけな」
 そう言うと弟は黙り込んだ。
「あのさ・・・俺と兄貴の年齢差が3分って知ってる?」
「ああそういえば。あはは、カップ麺一個分の兄貴か」
「その3分の間に聞いた話、するよ」
「・・・え?・・・」

「兄貴が生まれてさ、俺も今から外に出ようって時に神様達が話してたんだ。全く同じ条件で生まれる人間の片方にだけ、天からの幸運を授けてみよう。それで人生にどう違いが出るものか実験してみようって・・・そうだよ。俺と兄貴には何の違いもない。俺だけ成績が良かったのも、たまたま前の日に目を通したテキストから出題されたとか、スポーツが出来たのも偶然ライバルが怪我をしたからとか。全部ただの運だった。最初の結婚をする時まではその運を信じてた。でもダメだな。生活の中に他の人間が介入してくると運もズレちまうみたいだ。今の俺は心底兄ちゃんが羨ましい。人生を取り替えたい」
「お前・・・」
 弟は酔っているが目は真剣だ。こんなに弱っている弟を初めて見た。
「な、何だよ弱気になって・・・そりゃ2回結婚に失敗したらへこむかも知れないけどさ、今時バツ2もバツ3も珍しくないぞ。嫌だったら結婚しなきゃいい。独身だって何の不便もないだろ。俺の人生なんて別にフツーだぞ。お前みたいに成功している奴が何言ってんだ」
「兄貴こそ何言ってんだよ!」
 弟が乱暴にコップを置き、テーブルがガチャンと鳴った。周りが一瞬僕ら兄弟を見た。
「あんなにいい奥さんが居て、可愛い子どもまで生まれて。夜家に帰るとおかえりって言ってくれるんだろ?俺の嫁なんて二人とも、ろくに出迎えてもくれなかった。あいつらが見てたのは俺自身じゃなくて俺のキャリアだけだった。ガワしか見てなかったんだよ。それですぐに飽きてさっさと出てった。成功してるっていうけどさぁ、これで仕事頑張んなきゃ何なんだよ。金があると変な奴も寄ってくる。そんな連中も嫌でも相手しなきゃいけない。自営だから家に居てもバンバン連絡が入る。電話だのメールだの。気が休まらないんだよ。休まる相手もいない。俺が普通に話せるのって兄ちゃんしか居ないんだ・・・」
 ついに弟はシクシクと泣き出した。
「羨ましい。本当に羨ましい。今からでもいいから、人生を取り替えたい。金も仕事もうんざりだよ。稼いでも稼いでも仕事が増えるだけでキリがないんだ。俺はただ、ホッと出来る時間と相手が欲しい。俺の人生は何だったんだ。神様を恨むよ・・・」
 さっきテーブルで音を立てたのと弟が泣き出したので周囲の視線が集まる。弟は経済誌にも出たことがあるから、人目が気になった僕は弟を促して居酒屋を出た。
 僕たちは二人で夜道を歩いた。

 弟は涙に濡れた顔を乾かしながら茫然と歩いていた。
「おい、足元に気をつけろよ」
「うん・・・」
「タクシーを呼ぼうか。あの・・狭いけど、うちに泊まりに来るか?嫁さん居ないし」
「ン。いいよ。気持ちは嬉しいけど・・・今日はごめんな」
「いやあ」
 僕は笑った。
「スーパーマンみたいなお前にも弱い所があったんだなって初めて思ったよ」
 弟も笑った。
「だから。兄ちゃんと俺は同じなんだよ。運が違っただけ」
 弟は急に立ち止まり空を見上げた。
「でも、それも終わりだ。タブーの言葉を吐いちまったから」
「え?」
「『人生を取り替えたい』。それを言ったらお終いなんだ。俺の幸運は」
 弟の頭上に鉄骨の雨が降り注いだ。

 工事中のビルの建設会社から多額の賠償金と、独身に戻っていた弟の財産が転がり込んだ。両親は他界していたから受け継ぐのは自分しか居ない。
 会社は誰かに譲ろうと思ったのだが、いきなり他人の手に渡すのは弟に申し訳ない気がして、一旦は自分が継いだ。一応取引先に勤めていたから多少は内容が分かった。周囲のサポートもあって何とか経営を続けている。

 既に成功している会社、巨額の遺産、周囲の同情、慎ましい妻、生まれたての我が子・・・僕は自分の運が恐ろしい。

 これは幸運なのだろうか。
 キャパシティを超えた巨大な何かが頭上からのしかかっている。
 最後に弟がした同じ動作で空を見上げる。
 何も無い。
 視線を戻す。前を見るしかない。

 僕には、人生を取り替えるべき相手は誰も居ないのだから。

                                (了)

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