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「思春期性器官転移症候群」(「とりかへばや物語」の二次創作①)


 深夜、キーを打ち続ける初老の男性の姿。パソコンの画面に文字が連なる。

『思春期性器官転移症候群。この症状に正式な名称がついたのは30年前だが、実際はその10年程前から発生していたと思われる。
 症状は大別して2種類。「入れ替わり」と呼ばれる、二箇所の器官の位置が入れ替わるもの。「移設」と呼ばれる、一つの器官が体の他の位置へ移動するもの。主に10代で発症するが、稀に20代の症例も見受けられる。人種、地域を問わない。原因については食品添加物によるホルモンの異常説やオゾン層の破壊による紫外線の影響など諸説あるが未だ解明されていない。
 この症状に痛みは全く無い。ある朝目覚めると発症しており、ある朝目覚めると治っている。個人差はあるが数週間から数ヶ月で元に戻る。期間の個人差についても解明されていない。
 
 約40年前、症候群の発生が始まった当初は悲惨な事例が後を絶たなかった。多感な年齢の少年少女にとって外見の急激な変貌は動揺が激しい。自傷行為に及ぶ者、精神に異常をきたす者が続出した。身近な存在である家族も、その症状への知識が無い。殆どの患者が診察を拒んだ為に認知が遅れた。代わりにネット上で誤った情報が交錯し、便乗した怪しげな業者が幾人も逮捕された。カプセルに小麦粉を詰めただけのものが特効薬として数万円で売買された例もある。

 突破口になったのは患者の親が医師だった家庭だ。医師同士のネットワークが生まれ、情報が交換された。症状はほぼ100%の確率で自然に治る。この事実が発表された日が、混乱が収まった最初の日であった。

 症候群を語る上で有名なエピソードがある。ある日、十代に絶大な人気を誇る世界的歌手がカメラの前でタンクトップを脱ぎ去りサングラスを剥ぎ取った。
「だから何?私は私よ!」
 高らかに宣言する彼女の眼窩から乳首が飛び出し、バストトップで瞳が煌めく。音楽祭の授賞式のステージに毅然と立つ姿は世界中に配信され、彼女は批判と称賛を同時に浴びた。
 カミングアウトは世界規模でセレブリティの間に広がり、自分を受け入れよう、外見による差別はやめようという美しい言葉で飾られた動画は再生数が億単位となった。やがて人類はこの症候群に適応していった。

 例えばある高等学校の朝の風景。
「はよー」
「あれ、お前アレ?」
「あー。高二って遅ぇよなぁ。かっこわり」
 教室に入って来た男子生徒は顔の下半分をマスクで覆っている。
「どこよ」
「鼻と口の入れ替え。俺しばらく昼は個食な」
「わかったー」
 担任は何も言わない。登校前に保護者から連絡を受けている。クラスメートも、ふぅんといった顔で特に触れない。
 個食とは個室食堂のことで、全国の中学高校に設置されている。器官転移によって食事をするのに人目が気になる場合があるからだ。症候群の低年齢化を見据えて小学校にも設置が始まっている。
 
 発症者の殆どが10代ということで、最も変革されたのが学校生活である。性教育や薬物指導と同じレベルで症候群教育が行われた。
<症候群は感染しません。誰でも通る自然なことです。保護者の方も慌てずに、成長過程の一環として温かく受け入れてあげてください>
 授業のオンライン化も格段に進んだ。目が尻に移動するなど、座学の姿勢が取れなくなる場合もある。実習もV Rで受けたのちに、症状が治まってから実施で受けることも出来る。
 関連する新事業も増えた。転移に対応したマスクや衣類のユニバーサルデザイン化。食事が困難になった場合の流動食の開発。社会は変貌を続け、受け入れる方がオシャレといった風潮まで生まれた。個人識別に顔写真が意味を成さなくなった為、現在政府は国民全員の遺伝子情報を登録すべきとの法案を審議している。
 迅速に社会の対応が進み、最早原因究明や治療法の模索は喫緊の課題ではないとされている。しかし私は今敢えて、新たに発見した事実を』

「先生。執筆はそこで止めていただけますか」
 後頭部に銃口があたる。
「・・・どうやって入った」
「普通に玄関からですよ。高名な元大学教授が三流週刊誌に記事を提供だなんて、ふさわしくありませんね」
「学会から追放された今、科学雑誌に記事を寄せても取り上げられそうにないからね。妻はどうした。まだ起きていた筈だが」
「眠っていただいています。静かにね」
 侵入者の一人が銃を構えたまま、別の一人がパソコンを持ち去ろうとする。
「・・・症候群に関わる新たな学説は揉み消されるという噂は本当のようだ。何故こんなことを」
「答える必要はありません。ところで、先生の発見した事実とやらを確認させてもらいましょうか。正直にお話にならないと、奥様がどうなっても知りませんよ」
「私が心理学の観点から得た結論は、転移する部分は本人の抱く劣等感が関係しているということだ。コンプレックスが最も強い器官が表に出る傾向が強い。思春期の10代が発症するのも道理だな。カミングアウトした著名人の中には非常にデリケートな部分が露出した人物もいる。発表すると反発があるだろうが、この事実を世界で共有し研究するべきだと私はウッ!」

 元教授の脳天に出刃包丁が突き刺さった。

「銃は使わないんですか」とパソコンを持った方が訊く。
「現場にあるものを使うのが一番だ。奥さんに使った毒物も痕跡は残らない。検死しても心臓発作と診断されるだろう。包丁の持ち手には奥さんの指紋をつけておくぞ。お前も手伝え」
「ハイ先輩。しかし、ここまでして揉み消すような内容ではなかったと思いますが・・・」
「内容は問題じゃない。症候群の研究が進まないようにするのが我々の任務だ」
 新人は何か言おうとしたが言葉を飲み込んだ。
 調査員同士でさえ、症候群に関する議論は禁止されている。
 しかし、銃を構えていたベテランが新人の頃には、このような噂が囁かれていた。

 某国に一卵性双生児がいた。一人は善良で一人は凶暴だった。それが、ある日突然「入れ替わった」。
 一人が学校で銃をぶっ放し数十名を殺害。学校から町へ飛び出そうとした所で確保された。だが精密検査の結果、確保されたのは本来「善良」な方だった。「凶暴」だった方は自宅で死体となって見つかった。
 彼らの肉体が入れ替わったのか、精神が入れ替わったのか。幾ら調べても分からなかった。この症状は秘密裏に突発性全転移症候群と名付けられた。
 問題は、既に世界で確固たる地位を築いた政治家や実業家にもその疑いがあることだ。調査の結果全転移は一卵性双生児同士に限らなかった。縁もゆかりもない、遠隔地同士、つまり全く無関係な者同士の全転移まで発見された。発症も10代に限らずあらゆる年代で起こっていた。
 
 つまりいつ何処で誰が誰と入れ替わってしまったのか分からない。
 ミサイルのスイッチがいつ押されるか。聖職者がいつ信者の脳天をぶち抜くか。全転移症候群の存在は知られてはならない。

 肉体も精神も個人を確定する基準にはなり得ない。意識や知性や記憶は各々どちらに付随するのか。精神を可視化して判別が出来るか。判断する者が正しいと誰が断言出来るだろう。アイデンティティという概念は崩壊した。
 世界的な保健機構の一部から、疑わしい権力者は片っ端から隔離してはどうかという意見が上がったが、提案した人物は不審死を遂げた。

(今や全転移症候群って言葉すらタブーだ。こいつら新人は習ってもいないんだろうな)

 ベテラン調査員はタバコを咥える。ちなみに、この事実を知って間もなく離婚した。
 急に喧嘩腰になった妻は妻なのか。
 急に行儀良くなった子どもは我が子なのか。
 急にタバコが好きになった俺は俺なのか。
(答えは無い)

 その時
「先輩、あのう・・」と新人が声を掛けた。
「この猫、連れて帰ったらダメですか?」
「ああ?」
「ここんちの猫みたいなんですけど、放っておいたら飢え死にしそうだし、野良になって生きていけるかなって」
「お、お前・・・」
 ああもう、どうでもいい。
「好きにしろや。画像をネットに上げたりするんじゃないぞ」
 若造め、呑気なもんだ。新人は
「名前なんにしようかなぁ」
と嬉しそうだ。
 全く、可愛いじゃねぇか。

(名前はもうあるんだがなぁ)
 猫の中の意識は考える。考えながら悩んでいる。
 うむ。事実は認識した。頭に包丁を刺された瞬間、私の意識は飼い猫に転移したようだ。これは新たな発見である。異種間であっても転移が起きるとは。
 どうやら私は暗殺者の元へ引き取られるらしい。うまく正体を隠しつつ研究を続けられるだろうか。肉球でもパソコンのキーは打てるだろうか。
 私は今、妙に気分が高揚している。
 見よ。肉体が変化しても自我は失われていない。私は世界初の、猫としての科学者となる。この小さな脳に私の知識は引き継がれている。にゃんとかして自説を発表しなければ。そのみゃえに暗殺者の所属する機関を調べられにゃいだろうか。
 ん、にゃんだこれは。
 言語がおかしい。
 う、にゃ、みゃ、な。

「にゃーお」
「お、おなかすいたか?フード買って帰ろうな」
「にゃん♪」

                       (了)
 

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