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映画『女子高生に殺されたい』レビュー

【人が道を踏み外す瞬間とは】

 古屋兎丸の漫画を原作に、『アルプススタンドのはしの方』の城定秀夫監督が手がけた映画『女子高生に殺されたい』を、タイトルから女子高生に殺されたいと願う男性教師の変態的な心情が、あからさまに吐露され行動でも発露して、観る人を寒くて痛い気持ちにさせるグロテスクな映画だと最初は思った。

 観ると決してそうではなかった。東山春人という名の男性教師が女子高生に殺されたいという変態的な願望へと引きずられるきっかけがまずあって、そのきかっけに触れて魅せられ囚われていった果てに綿密な計画を立て、準備を整えいよいよ実現という所まで至る過程に、人が恋に落ちるのとはまた違った、人が道を少し踏み外してそして大きく離れてしまう様が見えて、興味をそそられた。

 誰にだって道を踏み外す瞬間というものがある。それはたとえば漫画家になるとか、アニメーターになるとか、医者になるとか天文学者になるとかロケット工学者になるとかいろいろな方向へと続いていくけれど、そうした道のひとつに女子高生に殺されたいと願って止まなくなるというものも含まれていたと思えば、この変態めと誹ることはちょっとしづらい。

 それだけ春人が触れたきっかけというものが衝撃的で奇跡的だったとも言えるし、その衝撃が触れた琴線に異色さと特殊さがあったとも言える。そんな偶然の接触が必然へと発展していった先で、人がどこまで積極的で徹底的になれるのか。讃えられる方向ではないけれど、凄いとは言っておきたくなる執念を見せられた。

 春人が練りに練った計画は本当に周到で、よくそこまで計算をし尽くしたものだと感心することしきりだった。ある女子高生に殺されたいと願う気持ちと、けれどもその女子高生を人殺しの罪には問わせたくないという矛盾する要求を、女子高生がおかれた状況も含めてほとんど達成してしまうまでにいったい、どれだけのシミュレーションを重ねたのだろう。テストも出来ずやり直しもきかないプロジェクトへと挑む心構えを、ある意味で教えてくれる作品とも言えるだろう。

 そんな東山春人という男性教師を、いつものどこかヘタレた若者ぶりとは違った端正さで演じていた田中圭が抜群だった。そして、春人が殺されたいと願う女子高生の真帆を演じていた南沙良も、そういった願いをかけたくなるくらいの神秘性を帯びた美少女だった。役の上で多層的な演技が求められていたが、それをしっかりと演じきっていた。

 観終わって気になるのは、やはり春人の女子高生に殺されたいという願望が生来より、あるいは成長の過程で醸成されて長く内在していたもので、それが実行を可能にする人物との出会いによって一気に表へと現出したものなのか、それとも明確な意識としては持っていなかったものが、特別な人物の存在を知ることで後天的に組み上がっていったのか、といったことだ。

 前者ならいずれ他の方法で殺されることもあったかもしれず、その方法がどういったものになったかに興味が及ぶ。後者ならあまりに特殊な存在が必要で、誰かが真似るのは不可能だからどこかの学校で教師がぶら下がるような事態は起きないと考えられる。どちらなのだろう。

 役者では、真帆にいつも寄り添い、地震や生物の死を察知する異能を持った女子高生の小杉あおいを、『サマーフィルムにのって』でビート板役を演じた河合優実がビート板よりもさらに奥に引っ込んだような静けさで演じていて、引きつけられた。河合優実にはやっぱりメガネがよく似合う。ほか、演劇好きなところを春人に利用される京子は莉子、そして柔道部の寡黙な美少女を茅島みずきが演じてそれぞれにしっかりと役割を果たしていた。

 驚きが、春人とはたぶん大学の医学部なり心理学部でいっしょに学び、今はカウンセラーをしている深川五月を演じていた大島優子だ。元AKB48の看板だったアイドルが、女優へと変じていろいろな役をやるようになって、すっかり元アイドル的な雰囲気を落として女優としての演存在感を放つようになっていた。芸歴の長さは伊達ではない。これからにも期待したい。(タニグチリウイチ)

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