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映画『グッバイ、ドン・グリーズ!』レビュー

【ピーキーだが慣れれば浮かぶ青春の思い出と歩み出す勇気】

 2度観れば傑作の映画を、2度まで観させるために必要なのは、1度目を観終わった人に合点させられるかどうかだ。『宇宙よりも遠い場所』のいしづかあつこ監督によるアニメ映画『グッバイ、ドン・グリーズ!』はその意味で、2度目への挑戦のしがいを感じられる作品だ。

 すべての事象が繋がって1枚の絵として描き上げられたものを眺めて、どのような絵になるかを了解した上で改めて、真っ白いカンバスの上にどのように筆が運ばれ、どのような色が選ばれ、最終的な絵として仕上がっていくかを見守りたくなる。そんな映画だ。
 
 そうした段取りを踏まないまま観る1度目は、もしかしたらちょっとしたピーキーさを覚えさせるかもしれない。田舎の町に生まれ育ったロウマとトトが、共にクラスから浮いた存在として仲良くなって「ドン・グリーズ」を結成し、秘密基地をつくって遊んでいたガッチリとしていた関係に、同じだけの過程を見せることなくドロップという少年が加わっていることがまず不思議だ。

 そんなドロップの存在に、地元の高校の農業科に進学したロウマとはちがって医者になるため東京の高校に進学したトトが、帰省しても特に驚かず嫌な顔をしないでいっしょに遊ぶというのも奇妙と言えば奇妙。おそらくはロウマからのメッセージでドロップという少年が加わって、いっしょに遊んでいることが伝わっていたのだろう。そのことがあからさまに描かれてないだめ、観る側で「いろいろあって今はそうなっている」ことを想起する必要がある。

 それから、冒頭の金色の滝と電話ボックスという幻想性と荘厳さが漂う場面であるとか、ロウマとトトが涙ながらに秘密基地をバラして燃やす場面なども結末を知り、全体を知っていれば腑に落ちる描写だが、説明もなしに初っ端でつきつけられ、いったい何だろうという思いを咀嚼する間もなく、ドロップの“闖入”に至ってしまうから面食らう。

 これが「そういうものなのだ」といった理解が出来ている2度目となると、シーンだとかセリフだとかの意味性をしっかりと感じ取れるから、全体を1本の映画として、この世界の片隅で起こった青春まっただ中の出来事を少年たちが経て、そして開かれた外へと史だし歩み始める感動を味わうことができる。

 だからせめて2度、観ることをお薦めする。チボリを演じる花澤香菜は可愛いし、梶裕貴と村瀬歩が演じるトトとロウマも美少女だし。それはどういうことかは観てのお楽しみということで。

 とはいえ、そうした展開のピーキーさに加えて、他愛のないことで大はしゃぎしたり大騒ぎするロウマとトトの感情線は、段取りの説明のアンダーさとは逆にオーバーの方向でピーキーだ。とにかく口数が多く、あの年頃の少年や少女は、感情のすべてを言葉に乗せてどこまでも喋り続けられるものなのかと少し思った。

 そんなにはしゃぐなよといった呆れと、自分もそうやってはしゃいでいたかもしれないという羞恥がないまぜとなって、居たたまれなさを喚起するところもあるから、2度では慣れるのに足りないかもしれない。もしも拭えなかったから3度目4度目と映画館に足を運んで慣れるか諦めて飲み込むしかない。

 そうした過程をしっかりと踏めば、初見では上下にレベルを振り切ったピーキーさの山が丸まってしっとりと落ち着いてくる映画だ。ギャグめいたシーンも愉快だし自然の描写は丁寧だし、自転車で走るキャラクターたちのスムーズな動きから道路や山を駆け回ったり慌てふためいたりする動きも完璧以上。作画面では一切の不安を抱かなかったところは老舗マッドハウスの力であり、吉松孝博やいしづかあつこらクリエイティブの力といったところか。

 見終われば、そして何度か見ていけば止まっているより動き出すのが賢明だといった思いが心に宿って元気になれる。やりたくてもやれない人への思いを育んで自分が頑張らなければといった気にさせられる。そうした感情をかき立てる映画として、それも決して壮大な冒険でも雄大なファンタジーでもなく、どこかの田舎町の短い夏の経験を通じて描き上げた映画として優れている。

 ただやはりピーキーなのでレベル調整はお好みで。(タニグチリウイチ)

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