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映画『Eggs 選ばれたい私たち』レビュー

【独り身でも生きていて良いのだと思わされる】

女性だけが子供を宿して生めるという、それは生命としての宿命であって逆らいようがないけれど、だからといって女性だから子供を宿して生まなければならないかは、その人自身の意思による。世間が女性に出産をして子孫を残す役割を期待してしまうのは、それが女性にしかできないことだからだけど、すべての女性がそうした役割を期待されなくてはいけないかというと、やはり人それぞれの考え方によってくる。

生まず育てない女性には価値がないということは絶対にない。問題は未だ世間にそうした思いが残っていたりすること。どうにかならないのか。どうにかなるものなのか。川崎僚監督による映画『Eggs 選ばれたい私たち』という映画が、そんな課題への答えを探ろうとしている。

事務職として働く純子は、30歳を目前に控えて結婚だとか出産といったものにあまり関心を抱かず、独身のまま生きていこうかと考え始めている。ただ、自分が生きた証として子孫を得たいという気持ちもどこかにあったのか、卵子を提供して子供を希望する夫婦に体外受精で子供を作ってもらうためのエッグドナーとなりたいと考え、斡旋するサービスに登録にいった時に従姉妹の葵とすれ違う。

葵は葵でレズビアンとして結婚から出産はあり得ないと考えているものの、そんな自分にも卵子があるなら提供したいと考え登録したらしい。少し前まで付き合っていた女性と別れ、飛び出して来た葵は、親に黙ってエッグドナーになろうとしている純子に、黙っていてあげるからといって純子のワンルームに転がり込んで、共同生活を始める。

葵は葵で、自分のセクシャリティに対する自意識が前に出て、純子と姉妹のようはは打ち解けられずにいる。純子は純子で、30歳というレシピエントになれる年齢制限が迫っていて、若くてチャンスの多い葵にわだかまりを持っている。同じようにエッグドナーとして登録し、子供なんていらないと言いながらも心情の奥底には違いがありそうだった。

純子の友人の1人は結婚をしていて出産が近いと明かし、別の1人は広告業界でバリバリと働きながらも婚活に勤しんでいて、けれども30歳を過ぎて得られる機会の乏しさを嘆いていたりする。女性といっても千差万別、それぞれに思いがあり事情があることを見せてくれる映画。こうあらねばならないといった押しつけはせずに、ひとりひとりの生き方を見せて、それに影響されたり反発したりといった心情を描く中で、自分自身はどうなんだろうと感じさせる。

子供を生める“機能”があるからこそ女性は世間一般なるもののプレッシャーに苛まれ大変だという雰囲気から、女性の生き方を見せる映画といった理解もありそうだけれど、家族なり家庭なりを得ないで生きるということは、女性に限らず男性にだって当てはまること。ひとり身で生き続けている者にとって、家庭なり家族といった基盤を持たずとも生きていけるのか、生きていっていいのかといった問いを投げかけられた気にさせられる。

エッグドナーとしてどこかに遺伝子を残さずとも、自分は自分として生きていくことにとりあえずたどり着いた純子の姿に、いろいろと学ぶところもあった。将来への不安も一方にありつつ、それを振り切って生きていくための力を分けてもらえる映画だった。

純子を演じた寺坂光恵は、ふわふわとして感覚で独身主義をやっているように見えて、内心ではいろいろと考え母親への反発と親愛がない交ぜになった心情に揺れ動いている感じをよく出していた。葵役の川合空は自意識をこじらせつつも諦めず逃げないで行きようとする強さを見せていた。

三坂知絵子はエッグドナーの仲介をする役目から、相手を怯えさせず温かく導く存在といた感じを出していた。純子の友人でキャリア女性を演じた湯舟すぴかは、自立する姿で憧れさせながらも、結婚できない時分に不甲斐なさを感じているギャップを漂わせてくれていた。別の友人を演じた見里瑞穂は、世界が注目する『PUI PUI モルカー』でモルカーを運転しながら遅刻しないか焦る女性の役とは違った、クールな雰囲気を漂わせて演技の幅を感じさせた。

そうした役者たちが演じる女性たちの生き方から、自分なりの生き方のお手本を探してみるのも良し、なくてもそれが自分自身の生き方なのだと改めて意識を確かにするのも良し。まずは見て考えよう、自分はどう生きたいのかを。(タニグチリウイチ)

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