見出し画像

映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』レビュー

【鬼太郎が生まれる前に目玉おやじは何をしていたのか】

 PG12だからといって『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を子供に見せちゃいかんだろ、っていうのがファーストインプレッションで、舞台挨拶付きということもあって会場に割と多かった子供がこの映画を見て、血しぶきにあふれかえった映像からどんな衝撃を受けたかがとても気になった。

 とはいえ以前に北久保弘之監督の『BLOOD THE LAST VANPIRE』が久々に劇場上映された際に、子供を連れてきていた親がいて、映画の途中からギャン泣きされていたのと比べるとそうした悲鳴も号泣も聞こえてこなかったのは、ストーリー自体に見入らせるところがあったからなのかもしれない。唖然呆然で鳴き声すら上げられなかった可能性もあるけれど。

 原作の漫画も含めて長く『ゲゲゲの鬼太郎』というシリーズに触れていれば、鬼太郎が死んだ母親のお腹から生まれてきたことと、目玉おやじが死んだ父親の目玉がどろりと抜け落ちてそれに手足がつく形で”復活”して来たことは普通に知っている。それが今の例えば『ゲゲゲの鬼太郎』のTVアニメ第6期を見て鬼太郎に触れた人が知っているかどうかはよく分からないので、それすらもネタバレと言われてしまったらゴメンと謝っておこう。

 ともあれ、そういった”経過”を知っていても知らなくても、実際にアニメに登場している目玉おやじがかつてどのような存在だったかは誰もが気になるところで、映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』はそこを描こうという前日譚的ストーリーを、ホラーテイストの中に描いた長編アニメーション映画となっていた。

 哭倉村という廃村を取材に訪れたライターが、鬼太郎とねこ娘の忠告も聞かずに村に入って怪異に襲われる。そして始まったのが、かつてその哭倉村に起こった出来事を描くストーリー。村の当主にして政財界に暗然とした力を持った龍賀時貞が死亡し、その跡目を継ぐだろうとみられていた長女の夫で龍賀製薬社長の克典に取り入ろうとして、帝国血液銀行社員の水木がいち早く村へと乗り込んでいくが、そこで予想が大きく狂ってしまう。

 すんなりとは克典に行かない相続。けれども長兄へと落ち着くこともなくなってしまった恐るべき事態の中、水木は村を訪ねてきては殺人犯と疑われた謎の男の命乞いをすることになって、そのまま村の片隅に留め置かれ、そこでお互いの目的を打ち明ける。とはいえ、簡単に人を信じたりはしないところが水木にはあって、すんなりとはバディとった打ち解けた関係にはならない。

 そこは、水木が戦場でいい加減な上官の命令で兵隊が犬死にする場面に接してきたから。『ゲゲゲの鬼太郎』の原作者で、水木という男に名前がなぞらえられている水木しげる自身が南方の戦場で経験した人間の弱さや欲得といったものを、映画を通して改めて描こうとしているところがある。そんなドロドロとした人間の内心を、子供に見せていいのかと言ったところもあるけれど、見ておくことで世界を良くしようと思ってくれればありがたい。R指定ではなくPGだったところから、そうしたことを語って聞かせる親の責任も問うているのかもしれない。 そんな水木も、ゲゲ男と名乗ってもらうようにした謎の男との関係の中で少しずつ変わっていく。

 映画では、ゲゲ男とは別にもうひとり、克典の娘の沙代がしきりに村から出たがって水木になついてくる。そのまま連れ帰りたいけれども連れ帰って面倒をみる解消もなく迷う水木だったけれども、事態は予想を超えて大展開。連続殺人が相次ぎ村の秘密も明らかになり、龍賀の力の源も判明した果てに謎の男と水木による最後の戦いが幕を開ける。

 そんな感じのストーリーは、閉鎖された村に伝わる伝承に触れた者たちが巻き込まれながらも生き延びようと必死で戦う伝奇バトルのある意味で典型。それが鬼太郎誕生へとつながるストーリーになっているところが本当によくできていた。きっとそうだろうと思わせつつ、そうであって欲しくないとも思わせておいてやっぱりと感じさせる展開の妙。そこから頑張って欲しいと思わせ、どうにかなったかもしれないと感じさせる終幕の味。よく取りまとめたと脚本家を讃えたい。

 モダンな絵柄でも人が歩く雰囲気は水木しげるのアニメっぽい動きが出ていた感じ。途中で繰り広げられた激しいバトルは古賀豪監督によれば1人のエースが作画したとかで、なかなかの迫力になっていた。それこそ大平晋也ばりの味があった。あとは沙代という少女がかわいかった。かわいかっただけに……。そこはやっぱり田舎の猟奇な伝奇にありそうな展開で、それを思うと映画『ミステリと言う勿れ』の狩集汐路はよく頑張ったと思いたい。舞台が現代だからなのかもしれないけれど。

 スペクタクルからの大団円めいた展開のその後を、エンドロールの脇で漫画風に描いてあって見逃せないと言えば見逃せないものの、僕らは知っているのでそこはスルーしてもいいかもしれない。とはいえ漫画等で知っているそれは悲惨なカップルの悲惨な末路の果ての酷い状況での誕生となる訳で、そんな境遇に陥ってしまったのはなぜなんだと言いたくなる。とはいえ正史には逆らえない。せめてそうなる以前のある時代、鬼太郎の父母が幸せいっぱいに暮らしていた時があったことを喜ぼう。(タニグチリウイチ)

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?