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映画『夏へのトンネル、さよならの出口』レビュー

【過去に溺れて知る未来を生きる大切さ】

 八目迷のライトノベルを原作にしたアニメーション映画『夏へのトンネル、さよならの出口』を2度見て、やっぱりこの映画が大好きだと分かった。

 クライマックスに近い部分、届かなかった時間を取り戻したかのような場所にいつまでも留まっていたいと思いながらも、新しく得られた出会いのかけがえの無さを改めて思い知って、停滞を乗り越えて前へと進み始める場面からあふれ出る未来に生きる大切さが、否応なしに進んでいく時間の中を否応なく進まざるを得ない身に力を与えてくれる。

 そんな映画だ。

 父親と二人暮らしの塔野カオルが雨の降る駅で出会ったのは、何かの包みを大切そうに抱えたひとりの少女。傘を貸して別れた彼女とカオルは翌日、学校の教室で再会して花城あんずという名であることを知る。周囲を拒絶しているようなところがあるあんずを横目に家に帰ったカオルは、酔っ払った父親から逃げるように線路まで行き、そこを辿って歩いているうちに奇妙な場所へと迷い込む。

 そこは入って少ししか過ごしていないのに、外では長い時間が経ってしまう不思議なトンネルだった。カオルはその場所で過去に残した大切な思いのカケラを拾い、ある可能性を感じ取る。そして再び挑もうとしたその場所に、なぜかあんずが現れトンネルの秘密を知る。同じように何かをトンネルに期待したいあんずとカオルは共闘関係を組み、二人でトンネルの秘密を探り始める。

 外と中とで流れる時間に差があるトンネルは、現実世界からの逃避を二人に誘う。共に歩もうとする二人。けれども現実世界への思いの差が二人の行動に影響を及ぼし始める。留まる者がいて進む者がいたことで生まれる差は果たして断絶をもたらすのか、それとも……。その答えが、ともすれば逃げ出したかったり立ち止まりたかったりしたい気持ちを奮い立たせて、前へと歩ませる力をもたらす。

 新海誠監督の『君の名は。』や『天気の子』といった超大作アニメーション映画ほどの精緻な絵ではないかもしれない。それでも紡がれる物語でありそれを描きあげる雰囲気に大きく劣るところはない気がする。何よりクライマックスに近い場面での再会とそして再出発を描く絵が、温かくて懐かしくて柔らかくて嬉しい感じに溢れていて、そこだけでも何度も観たいと思わせる。

 ケンカを売ってきた同級生の女子に対して、あんずが容赦の無いストレートを繰り出し殴る場面の率直さであったり、自信はないけれど自尊はある自分の漫画を褒められたあんずが、じたばたと足を動かして嬉しさを表す場面の愛らしさであったりと、所々にハッとさせられる描写も多い。鹿と列車が衝突して起こる遅延の度に、出会ったり確かめ合ったり思ったりする情動が起こる積み重ねも、時がもたらす人の変化を示しているように感じられる。

 カオルと父親との関係が親子の愛憎すら超えて他人行儀であったり、あんずと家族との関係がまるで見えなかったりする部分はある。原作ではカオルと父親の関係はそれは辛いもので、カオルが現実と縁を切りたいと思って当然だと分かるけれど、そこまで描く時間がない中で人は誰かを失ったり、何かを嫌がっていたりするところがあるのだと理解することはできる。そんな家族関係からの逃避もまた行動への力なのだから、あとは描かれた部分から想像を膨らませるしかない。

 いわゆる劇伴を抑えて環境音とか息づかいとかをしっかりと取り込みつつその世界に没入させる音響面での工夫は、大きな劇場でこそ意味が感じられる。ここぞという場面でかかるeillの挿入歌なり主題曲なりエンディングが緊張を解放し衝動を煽って感情を沸き立たせるところもある。だからこそ劇場で観て欲しい映画だけれど、それだけに絵が究極ではなかったところに残念さも募る。それがあればなお特別な作品になれたのに。

 企画としての成り立ちは分からない。ライトノベルとして単巻で優れた作品ではあってもベストセラーとは言えず誰もが知っている作品でも無い。それを実写でアイドルの主演によって惹きつけるタイプでもない映画にどれだけの動員が期待できるかも分からない。それでも作られたことに意味があった。紡がれた物語に価値はあった。過去よりも今であり未来なんだと感じさせられた。だから良かった。とても良かった。

 誰がどう思おうとも2022年の夏に必要な映画だ。(タニグチリウイチ)

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