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映画『ロン 僕のポンコツ・ボット』レビュー

【ティム・クックはそうはならないで』

 アップル製品のユーザーにとって、ティム・クックとはどのような存在なのだろう。

 問答無用に“神”と言えるスティーブ・ジョブズの下でセールスとオペレーションに従事し、iMacで復活を遂げたアップルがiPodやiPhone、iPadなどを繰り出し、大躍進していく流れを作り支えた人物であることは間違いない。

 一方で、ジョブズ亡き後のアップルにおいて、スマートフォンの元祖でありなおかつ先鋭でもあるiPhoneや、タブレットの市場を作ったiPadといった製品に続く何かを送り出せないまま、ジョブズの遺産に頼りつつマーケティング力だけで跳梁する簒奪者といった見方もできない訳ではない。

 ジョブズを追い出した後、右往左往した挙げ句に会社を潰しかけたジョン・スカリーのような無様さを、ティム・クックはまだ見せていないけれど、華やかな印象だけで乗り越えていける時代も終わろうとしている中、革新を生み出せない経営者は遠からず退場を余儀なくされる。そんな可能性も浮かんでしまう。

 だったら、どのような手立てを講じてアップルは生き残りを図るのか。そこでティム・クックはどのような役割を果たすのか。そんな問いかけに、フィクションながらもひとつのビジョンを見せてくれたのが、『ロン 僕のポンコツ・ボット』という長編アニメーションだ。

 チョコエッグに入っているカプセルが、抱えられるくらいに大きくなったような形をしている〈Bボット〉なるマシーンがバブル社によって開発され、発売された。いわゆるパーソナルロボットで、ネットワークに繋がっていてユーザーとなる人に関する趣味嗜好から交流関係まですべてを把握した上で、ユーザーの半ばエージェントとなって寄り添っては、趣味嗜好がマッチする友だちを探して結びつけてくれる機能を発揮。子供たちのコミュニケーションには欠かせない商品として大人気となる。

 全身がモニターになっていて、服を着たように見せたりキャラクターになったように感じさせる。乗り物にもなって、バイク的だったりスケボー的だったりする乗り方で遊ぶこともできる。そんな〈Bボット〉があることで、スクールに通う子供たちは誰かとつながっては、昼休みとか放課後とかに楽しく過ごしていたけれど、ひとりブルガリア移民らしいバーニーという少年だけは、陽気だけれど頭が古い祖母と、ネットを使い世界中に玩具を売り込んでいる父親の下で〈Bボット〉を買い与えてもらえず、誰とも友だちが作れないでいた。

 そんなバーニーを見かねた祖母と父親が手に入れてきた〈Bボット〉は、最初からどこか奇妙だった。ネットに繋がらず言動はメチャクチャ。仕方なくバーニーはロンと名付けた〈Bボット〉ボットに対して、「友だち」とは何かを教え込んでいくところから始める。最初は理解されず、引きずり回されていたところもあったけれど、お互いの性向を理解してだんだんと仲良くなっていく過程は、現実の世界で誰かと出会い、コミュニケーションを繰り返しながら関係を深めていく過程に重なるところがあった。

 喧嘩もする。そして仲直りもする。まるで現実の友人のようなロン。それは絶対服従のはずの〈Bボット〉にはない機能だった。

 そうなのだ。「友だち」だという〈Bボット〉だけれど、しょせんは自分に関するあらゆる情報をクラウド上に備えた分身でしかない。そんな分身を通して色々と自分を発信して、世界中からイイネをもらったとしても、それは自分のワールドが拡張されただけでしかない。たまに誰かのワールドと重なったとしても、果たして繋がったと言えるのだろうか。お互いが自分こそはと主張し合う関係ができただけだ。

 ユーザーと〈Bボット〉の関係も、主従あるいは本身と分身であって、決して対等な間柄ではない。ロンは違った。他の誰ともつながれないけれど、バーニーとは向かい合って繋がりを作り上げようとした。そんなロンの姿にこそ、本当に作りたかったものがあると感じたバブル社の〈Bボット〉開発者、マークはロンとバーニーを確保しようとする。

 そこに割って入ったのがティム・クック……ではなく会社のオペレーションを担っていたアンドリューという人物。彼は〈Bボット〉を友だちなどではなく、ユーザーの趣味嗜好を集積しては何かを売りつけるためのツールとして扱い、世界中に売り込もうと画策する。

 そして起こるマークとアンドリューの対立。そして始まるロンとバーニーの逃避行。その先に来る別離からの再会という感動を与えてくれるストーリーを見終わると、友だち作りが苦手な人間たちはきっと、自分にとって欠けているものが何かが見えて来るだろう。

 〈Bボット〉ではなくても、iPhoneでも他のスマートフォンでもPCでも、そこから自分の日常を切り売りするようにして発進し、世界中からイイネをもらうことが可能な現在。けれども、それが何かの繋がりを生んだかというと、一方通行のすれ違いが無数にできあがるだけで、真の結びつきにはなかなかならない。失敗した少女に浴びせられる嘲笑の嵐が、そんなネットの無情を示している。

 ロンは違った。喧嘩もするけれど慰めてもくれる。どうして? それこそが『ロン 僕のポンコツ・ボット』という映画の大きなテーマだ。見終わって誰もが感じるだろう。まずは自分自身をしっかりと持つこと。それを偽らないで出していくこと。そして相手のこともしっかりと受け止めること。そんな交流の積み重ねによって、本当の結びつきというものが生まれてくると教えてくれる映画。それが『ロン 僕のポンコツ・ボット』だ。

 あとは、ティム・クックには注意した方が良いかもしれないということも。それこそ〈Bボット〉クラスのものを出してこないと、いよいよ飽きられかねないぞ(タニグチリウイチ)

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