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映画『ハケンアニメ!』レビュー

【人生の覇権を取るために必要なこと】

 映画やテレビドラマに登場するような、権力に噛みついて不正を暴き、警察を出し抜いて真犯人に迫り、世界的な文豪の幻の作品を屋根裏から発見し、挫折したアスリートを励まして競技の第一線へと送り返すことをする新聞記者は、万人に1人もいないだろうことは分かっている。

 それでも、過去にウォーターゲート事件が暴かれて、大統領の犯罪が白日の下にさらされ、リクルート事件が報道されて、戦後50年続いた政治体制が崩壊したように、新聞記者の仕事が何かを成したという実績はある。だからこそ新聞に携わる人たちは、忙しい日々をルーティンの作業に追われ疲弊しながらも、心のどこかで新聞記者にはそうあって欲しいと思っている。

 そんな新聞記者が増えれば、世の中にもなにかしら変化が起こって、真っ当な正義が貫かれて、誰もが幸せな日々を送れるようになるだろうと信じて。

 現実の権力に阿って筆を曲げ、社内競争に汲々として誰のための新聞なのかを忘れてしまっている新聞記者を見ていると、とてもそうとは思えない。それでも、理想を捨ててしまってはいつまで経っても正義は貫かれない。だから、映画やテレビドラマで理想に過ぎる新聞記者が登場することに異論はない。そうした新聞記者に支持が集まることによって、正義が貫かれやすい世の中になれば良いのだから。

 『ハケンアニメ!』という映画に描かれるアニメーション業界も、見る人が見るとあまりに理想が過ぎるものになっている。あるいは、現実とは大きく乖離しているとも。ギリギリの段階まで監督がラストを迷って迷って迷い果てて、なお迷い続けるような状況は現実には起こらない。そのような時間的な余裕などアニメ制作の現場にはないからだ。

 間際になって変えられたコンテに従って作画をやり直す余裕もないし、声優が変更された台本に合わせて最終回の放送間際に声を録るなんてこともない。だから、映画『ハケンアニメ!』に登場する一連の描写をありえないことだと否定して、呆れるアニメ業界の関係者やアニメファンがいるだろうことは否定しない。

 土曜日の夕方5時に1クールのアニメが別々のテレビ局で2本同時に放送されるような状況も、その1本が大手アニメーション制作会社が手がける子供向けのアニメーションであるということも、現実的ではない。そのようなライバル関係にある2作の監督が、同じイベントで同じ壇上に立つということもおそらくない。

 辻村深月が書いた原作小説は違っていて、放送時間は別々で、ターゲットも違っていたし、視聴率でも競争はしなかった。タイトルの語源となっている“覇権アニメ”という言葉の下で、天才監督による魔法少女アニメと新人監督による子供向けのロボットアニメが同じクールでぶつかりあっても、その勝敗は視聴率という明確なものではジャッジされないからだ。

 そして、“覇権アニメ”という言葉は、人々の間の評判であったり世間にあたえたインパクトであったり、何より作品性そのものであったりといった要素の総合として用いられている。視聴率であったりパッケージの売上高であったりといった数値の上下で優劣が決まるといった、アニメ好きの神経を逆なでしそうなバトルを煽るものではなかった。

 小説はそう理解され、受け入れられた。ところが、映画版『ハケンアニメ!』ではそうした配慮が取り外され、真っ向からの視聴率対決にされてしまった。そこに、アニメ好きは違和感を覚えるかもしれない。

 だから重ねて言うが、これは映画だ。映画というエンターテインメントだ。映画やテレビドラマに登場する新聞記者と同様に、アニメの世界の理想像を時にカリカチュアライズも含めて描くことによって、より広範囲に理解してもらおうとしたものだ。そう思えば、映画に描かれた一連の出来事は、アニメの世界がそうあって欲しいという作り手の願望であり、受け手の希望であって、映画はそれらをくっきりと浮かび上がらせたものとして、最高の作品だ。

 逃げ出したくなっても逃げられない中、やれることをとにかくやり続けることでしか作品は生まれないという確信。監督がやり抜きたいと思うことを脚本家も、作画監督も、美術も彩色も編集も音響も誰もが受けとめ、限界を超えて挑み突破して最高のものを作るのだという意識。時間だとか資金だとか気分といった現実の壁に阻まれて、届かない夢であっても強く想い続けることで少しずつ近づいて、そしていつかそこへとたどり着きたいという夢が、映画『ハケンアニメ!』にはぎっしりと詰まっている。

 アニメーションの業界がそうあれば、とてつもなく理想に近い作品が続々と生み出されて働く人たちも理想を貫け、受けとめる視聴者も喜びを噛みしめられる世界になる。そんな想いの容れ物に『ハケンアニメ!』という映画がなることで、何かが変わっていけば嬉しいし、そうした嬉しさを共有したいと思える人が、1人でも増えていく始まりに『ハケンアニメ!』という映画がなることが、今は求められているのではないだろうか。、

 映画について語るなら、初の監督作品を良い物にしようと七転八倒する斎藤瞳を演じた吉岡里帆は、自分こそがという意気に燃えつつ、自分だけがという意識に縛られ八方ふさがりになるクリエイターの苦悩を、しっかりを身に入れて発してくれていた。また、天才監督の久々の復帰作をプロデュースする有科香屋子を演じた尾野真千子は、監督に媚びずかといって見下さず、同じ目線から最高の作品を作ろうと燃えるプロデューサーの存在意義を、全身で表してくれていた。

 その有科が受け持つことになった天才監督の王子千春を演じた中村倫也は、飄々としているようで分かっていない相手には辛辣で、何より自分の限界を感じてなおそれを突破しようとあがくクリエイターの苦悩をしっかりと感じさせてくれた。そして斎藤監督を受け持つ行城理プロデューサーを演じた榎本佑は、狡そうで金だけが大事な商売人といった雰囲気を漂わせながら、誰よりも作品と監督のことを思い行動している理想のプロデューサー像を見せてくれた。

 役にとことんマッチした役者が揃えられ、描かれたアニメの世界をモデルにして、自分の思いをどこまでも突き詰めようとして動き、考え、悩み、突破していく人々の姿を見て、それがあり得ない描写だということは関係ない、大切なのはそこから何を感じ取るかだと思えるだろう。

 あとは掴むだけだ。自分の人生を誰にも臆さず何にも恥じない覇権とするための方法を。(タニグチリウイチ)

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