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エビフライころりん

ある日の休日。
その日は数ヶ月前にチケットを購入したお笑いライブの日だった。昼過ぎからのライブなのでお昼前に行ってランチをしてから向かおうと決めていた。

珍しくスカートをはいてみたりして、いつものホームセンターやスーパーに行くのとは違う。夫とのデート感がちょっぴりあるお出かけは久々だ。


いつもより長く電車に揺られながら目的地に着いた。ちょうど昼時な事もあり改札を出ると真っ先にレストラン街に向かう。

都会のレストラン街はいろいろなものに溢れている。和食、洋食、中華、その他何に属するのかわからないような食べ物もたまにある。

夫とどこに入ろうかと30分くらいかけて考える。2人とも優柔不断なので時間がかかって仕方ない。たまにしか来ない街でのランチなので入ったことのない店に行こうなんて言っていたが、悩みに悩んで結局、前回入って美味しかった洋食屋さんに入ることにした。


その洋食屋さんはとても人気のお店で開店の11時前から行列ができていた。オープンしてから並んだので、すでに店内は開店前から並んでいたお客さんで満員。私たちは店前に並べられた椅子に腰掛けた。

店員さんがメニューを渡してくれたので待っている間に決めることにした。
ハンバーグやエビフライ、コロッケなどの揚げ物が組み合わせいろいろでセットになっている。

私はエビフライには目がない。
エビフライというかエビが大好物なのだ。

しかし、エビフライが入っているセットは、ハンバーグとコロッケ、それかハンバーグとカニクリームコロッケの2択だった。

コロッケにあまりそそられない私は大好物のエビフライを泣く泣く諦めてヘレカツが入ったセットにすることにした。ヘレカツのセットにはハンバーグ、そしてエビフライの代わりにサカナフライが付いていた。

エビフライは食べられないけど、サカナフライも美味しそうだしと私はそのセットに決めた。

夫はエビフライとハンバーグとカニクリームコロッケと奇跡的に好物が集結したセットにした。

メニューを決めると店員さんが早速注文を聞きに来てくれた。並んでいる間に作ってくれるので回転が早い。おかげであまり待つことなく店の中に入ることができた。


店の中はすごく狭い。
4人掛けのテーブルが3つ、狭い通路を挟んで2人掛けの小さなテーブルが3つ。

私たちは一番奥の2人掛けのテーブルに通された。
水を持ってきてくれたと思ったら、頼んでいた料理がすぐに出てきた。

丸いお皿の上には2種類のフライとハンバーグが乗っている。フライには白いタルタルソース、ハンバーグには赤茶色のソースがかかっている。
その後ろにはキャベツが綺麗な山のように盛られていて富士山の雪のようにドレッシングがかかっている。そんな盛りだくさんなお皿の横にライスと味噌汁の乗ったお盆が置かれた。

早速目の前に置かれた美味しそうな料理に箸をつけて頂く。「美味しいね」と言いながら食べる。
私はお皿に乗っていたヘレカツをひとつ夫の皿に乗せた。

夫は「カニクリームコロッケいる?」と聞いてくるので「一口だけ」と答えると一口サイズに切ったコロッケを私のライスのお皿に乗せる。

違うものを頼むと一口交換したりするのが当たり前になっている。

「エビフライいる?」と夫が言ってくれる。
「いらない、いらない」と私は全力で答える。

エビフライは私もだが夫も大好きだ。大好きだからわかるがエビフライ1本がエビフライを堪能するのには必要な量なのだ。一口でも食べてしまえば物足りないに決まっている。私ならエビフライは1本丸々食べたい。

しかし私がエビが好物と知りつくしている夫は一口サイズに切ったエビフライを強引に私の皿に乗せた。私は「いいのに」と言いながら夫の優しさに甘えて有り難くお皿の隅に置いて今日のランチの最後の一口に取っておく。

私もサカナフライを一口渡して、お互い揚げ物交換会が終わり本格的に食べ進める。


お皿を凝視するように夢中で食べていると

「あっ!」と言う夫の声が聞こえた。

視線を前に向けると夫が床から何かを拾っている。
何を落としたんだろうかと思いながら、顔を上げた夫が手にしていたのはエビフライだった。私に一口切ったままで夫はまだ一口も食べていないエビフライ。

夫は落胆している。見るからに落胆している。
「最悪やー」と言いながら拾い上げたエビフライをお盆の上に置いた。

話を聞くと、夫もエビフライを後で食べようとキャベツの上によけていたところ、キャベツがあまりにも山なのでおむすびころりん的な感じで山を転がり、テーブルの狭さもあって地面に落ちてしまったらしい。

「私、落ちたの食べるから」と言って最後の一口にと取っておいたエビフライを夫の皿に戻した。「そんなん食べたらあかんて、いいよ」と言って一口エビフライはまた私の皿に戻ってきた。

3秒ルールやと言う私に対して「3秒とか関係ないねん。エビフライと地面が接触した時点でアウトやねん」そう言われ、私も元々食べる勇気はあまりなかったのでエビフライはそのままお盆に放置されることになった。


夫は落としてしまった自分に「情けない」と言いながらさっきより暗い顔で食べ進めている。その表情を見ていてエビフライ1本を単品で頼む事を進めて店員さんを呼んでエビフライ1本を追加注文した。

小皿に乗ったエビフライが置かれた。タルタルソースが添えられた出来立てのエビフライ。そのエビフライの奥には一口欠けたエビフライが寂しげにある。

私はその姿がなんだか愛おしくなった。地面に触れてしまったけれど食べたいと思った。卑しい奴だと思われるかもしれないが、人一倍海老にいつもお世話になっている私はなんともいたたまれない気持ちになってしまったのだ。

食べちゃダメだという人としての尊厳と、ちゃんと食べてあげたいというエビへの日頃の感謝の思い。

私は食事をしながら視界に入るエビフライを見つめて「食べられへんかなぁ」とボソッと言うと「あかんて」と再び返ってくる。
「食べたいならもう一本頼めばいいやん」と言われたが、違う。そうじゃないんだ。私は単にエビフライが食べたいのではなく、このどうしようもなくなったエビフライが食べたいのだと。

ふと横を見ると家族で来ている中学生くらいの女の子とガッツリ目が合った。この一連のやり取りを見ていたのかはわからないが、彼女の目から「食べるん?この人」みたいな雰囲気を感じた。気のせいだとは思うが少々恥ずかしくなった私はおとなしくなった。


昔は落ちたものに息を吹きかけて「死なへん死なへん」と言いながら落ちたものを食べる知らないおじさんを見たこともあった。

それこそおむすびころりんのおじいさんも転がり落ちるおむすびを追いかけたということは、もしおむすびに追いついてキャッチできたとしたら食べようと思っていたに違いない。おむすびころりんのおむすびは3秒どころではない。

けれど、時代の流れやこんなご時世になり人々は少々神経質になっている気がする。私もその1人だ。

外食をしてテーブルに常に置かれているであろう小皿を手に取る時、これは綺麗なのだろうかと一旦首を傾げるし、蓋の開いている調味料を使う時は少し躊躇う。

箸立てに直に入れられたお箸を使う時はこの箸立てはいつ洗ったんだろうかと思うし、スプーンが曇っていれば拭いてから使うようになった。いろんなことが気になってしまい、いつか外食なんて出来なくなるほどに神経質になりつつある。

そんな私だがやっぱりこのエビフライが食べたいという気持ちが抑えられない。
気づくと隣の中学生の家族はいなくなり店員さんが丁寧にアルコールでテーブルを拭いている。
落ちたのがテーブルの上だったら食べれたなぁと心の内で思う。


食事も終盤に差し掛かったころ私は思い付いた。
「これ、衣剥いだら食べられるんじゃない?」という名案に「やめとき」と少々呆れられながら言われた。


私はシュンとしながら最後に取っておいた一口サイズのエビフライを口に放り込んだ。
少し冷めてしまっていたがそのエビフライはとても美味しかった。


店を出てお笑いライブに向かう道中

「いや、落ちたもの食べたらあかんやろ」

私はようやく我に返って自分にツッコミを入れた。

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