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社会人1年目

年齢を重ねるにつれて、「初めて」に対するハードルがますます高くなっているように感じる。
10代の頃までは否が応でも数年おきに環境が変わり、その度に人間関係や勉強や部活動など初めましての出来事が矢継ぎ早に降りかかる。だが成人し生活のルーティーンが確立されれば敢えて冒険する必要はなく、自身のコンフォートゾーンの中で生活を繰り返すだけで何ら問題ない。すると自ずと初めてに対する心理的抵抗が強まるのだろう。

2024年4月。齢26にして私は実家を離れ就職した。
初日の入職式が8:30開場8:45開始だったのだが、どういうわけか当日の朝まで8:30開場9:00開始とクラシックコンサートのタイムスケジュールの感覚で刷り込まれていたが為に、初日から革靴なのに死に物狂いで走る羽目になった。遅刻こそしなかったものの自身の抜けっぷりにしっかり凹む社会人デビューとなった。

振り返れば幼稚園→小学校→中学校→高等学校→大学と環境が変わってもたまたま同級生に誰かしら知り合いがいたのだが、ここにきて遂に同期が全員初めましての環境下に身を投じることになった。
昔から人間関係の構築が得意でない手前、今も相変わらず自然体なふりをして勝手に傷付いて勝手に立ち直るのを繰り返す面倒なムーブのエンドレスだ。

その上、初めての一人暮らしである。
そもそも住居を探し始めたのが3月になってからで、引っ越したのも入職する5日ほど前とこの時点で計画性の無さが露呈している。
宇多田ヒカルの「光」のMVよろしくラフな格好で雑に洗い物をするような肩肘張らない生活を思い描いていたのだが、引っ越した次の日からシャワーのホースが外れて大慌てしたり、水栓を閉めっぱなしで洗濯機を回したが為にただ衣類を高速回転しただけになったりと呆れるほど失敗の連続である。

ただ、元来私は自分に期待しない性分なので、所詮自分なんてそんなもんだよなもと思う。
公私ともに社会性が足りていないのは十二分に自覚しているので、身につけられるものは時間をかけてでも補っていけば良いし、どうしても不可能なものについては出来ないなりの身のこなし方を考える。
逐一反省していては心身ともに負担が大き過ぎるし、一方で常に開き直り続けるのは自分の性格的に無理がある。
自分の中でギリギリアンバランスにならないような塩梅で、ひとつひとつの事象に真摯に向き合い学習し最終的に水に流していけたらという次第だ。

「研修医1年目の教科書」という書籍の中で、研修医を3種類の側面から捉えて解説が展開されている。
学習者
医療従事者

そして労働者
個人的にはここに「生活者」ーー単身で暮らす者もいれば家庭がある者もいるがーーの側面も加わるのではないかと思う。
初期研修医として2年間、きっとこれから幾度となく壁にぶつかり、その度に生じる感情があるだろう。
その刹那を、労働者生活者の2種類の側面から書き綴っていけたらと思う。

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