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四十八文字の話『ク』 公卿2(歴史から名が消えていく人々)

「私は知っている『武士』の数よりも、『公卿』の数の方が多いですよ」っておっしゃる方、何人いますかね?  (勿論、大学教授など専門に研究をされている方は例外としてですが)                      通常に考えれば、やはり「武士」の数が多いと思われます。                        で、この現象って、なぜ起きるのでしょうか?   

「実際そんな事気にもならたないし、考えた事もないな~」と言う方が大半でしょうね。           「だってあの人達(公卿)って、何をしていたのか解らないし、何の魅力も感じないし、ましてや、ゲームにも出てこないから全然興味ない!」              私も以前は同じでした。何の疑問も湧きませんでした。 

ところが何年か前、ある作家が江戸時代後期~幕末までを書いた書籍の中で、私などが、今まで名前など聞いた事のない「公卿」達が、

実は、表は勿論の事、裏側においても暗躍し、皆さんが思っている以上に、薩摩長州と言った倒幕派が本格的に動き出す前から、工作活動していた


と言う内容が書かれてました。

「公卿さん達がそんな事していた? ホントかな?     それにしても聞いた事のない人達ばかり。       この著者、こういう書籍を書くくらいだから、     その方面に精通しているんだな~」としか思いません  でした。

ですが改めて考えてみると「公卿」は、奈良時代以前  より、天皇のお側に仕え、時の政策を決定する「政治家」と事務的業務を行う「官僚」の機能を合わせ持つ方々  でしたから、日本の歴史上においても大変重要な存在で あるはずであり、当時の学問(神道、仏教の教え)や文化(歌、書道、香道、文学)の調査、評価をする上でその実積 や行った事は、後世に語り継がれても何の不思議も   有りませんよね。                 

でも「武士」に比べて          歴史上の「存在感」や「扱い」が     何故か低い様に思いませんか?

  

この事が、私が最近気になっている事象なんです。   

歴史にあまり興味がない方々でも「織田信長」や    「徳川家康」と言った「名前」ぐらいは聞いた事が   有るでしょう?                   では「公卿の名」は?               

先程言った様に専門家の方々は別にして、歴史に興味の ない方は勿論、歴史が好きな方でも、ご自分が知っている「公卿」の人数はすごく限られるではないでしょうか? どうしてこんな事が起きるのか? 

それで、この件について、私なりに少しだけですが、  考えて結論付けてみました。

私が思うにそれは

「『公卿の方々』に関して、学校での   『歴史教科書』における扱いが圧倒的に  低い❗からだ」、と行き着きました。


小学校の「教科書」に載っていれば、大人なっても、  何となく聞いた事があるな~、と言う記憶だけでも   残りますよね。また中学、高校ともなれば、たとえ歴史が好きではなくても、テストや入試で良い点数を取らなければならない場面が有りますから、「歴史教科書」に載っている事柄はいやでも覚えなければなりませんよね。 

これって結構重要な事!だと思いませんか? 

例えばテレビの「時代劇」にしても、主要な登場人物は「武士」、人当たりの良い陽気な「町人」や威勢の良い 「火消し達」、辻斬りを追っかける「与力」や「同心」、「岡っ引き」、そして極めつけは「天下の副将軍」や  ご自身の身体に彫った見事なお花の刺青をご自慢にする「北町のお奉行様」などですが、「公卿」は出てきますかね?                        たとえ出てきたとしても主役にはなれず、記憶にも   残らずにドラマはおしまい。             現在NHKで放映されている「麒麟が来る」の中でも  「近衛某」「二条某」「三条西某」と言った「公卿」さん達が出ていますが、番組が終わってしまえば、キレイに 頭の中から消えてしまうのではないでしょうか?

この現象、どういう事かと言うと、先程指摘させて頂いた様に、「公卿」に関しての「歴史教科書」の扱いが低い ため、皆さんが「公卿」についての『予備知識』が少ないだと思います。     

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