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四十八文字の話『ク』 公卿1(歴史から名が消えていく人々)

皆様、今回は「公卿(くぎょう)」については書かせて   頂きます。                     

この「公卿」と言う方々、ご存知の通り、律令制が   執行されてから天皇のお側近くに仕えた日本の指導層で あり、のち平安時代の頃にはその勢いは絶頂となりますが、以降、武士勢力の台頭によりその影響力は次第に  弱まり、江戸時代は、幕府からの圧迫で、かつての勢いは無くなります。

ですが間違いなく、古代より、この日本の政治や外交、 また儀式や文化の発展を牽引してきた人達です。

「公卿」とはいわゆる公家の中でも「三位」以上の   位の高い世襲の方々の事を指します。         お公家様の世界も、上下の身分制社会なんですね。

私自身の話で恐縮ですが、私は2、3年前くらいからか、この「公卿」についての「ある現象」が気になっています。今回はそれについて述べようと思ってます。

ですがその前に、皆さんに質問させて頂きたいのですが。

皆さんは「歴史上に実在した『公卿』のお名前を何人言えますか?」ね。                   私も大変少ないのですが、私が知っている「公卿」の方々を記させて頂きます。

なお、このエッセイを書くに当たり、私も改めて    「公卿」について学習しました。           「公卿」と言うと一般人からすれば、漠然と      別次元の遠い存在に思えますが、今回、以外な人が   ご子孫だと解りました。               案外、我々に身近な存在なのだと思った次第です。

奈良時代                       ●大伴旅人(おおともたびと)              ご存知、新元号「令和」の由来となった「梅花の宴」を 歌った方です。                   元号決定当時はちょっとしたブームになった人物です。  ●大伴家持(おおともやかもち)             大伴旅人の子。                           

日本最古の和歌集「万葉集」の主要な編纂者。     この方の歌の数は「万葉集」に納められている全歌集の 一割の数❗になります。               実はこの方の歌は何と、1300年の時を越え‼️    現代でも聞く事が出来ます。             一度も聞いた事のない方は是非ともお聞き下さい‼️

 ⇒「海行かば」

https://m.youtube.com/watch?v=lq4qs9YSpm0

「歌」の世界で大変有名な親子ですが        「大伴一族」は武門の家柄です。

平安時代                       ●菅原道真(すがわらみちざね)             いわゆる「天神様」です。              若い頃からその頭脳明晰を見込まれ          当時の天皇親政を補佐し、善政を行いました。     「大宰府天満宮」や「北野天満宮」等、全国で     約12000社も御鎮座する「天満宮」の御祭神です。    ●藤原道長(ふじわらみちなが)             摂関政治の藤原全盛期を築いた人 。          ●藤原頼通(ふじわらよりみち)             藤原道長の子。                   10円硬貨に描かれている「宇治平等院鳳凰堂」を造営  した人。

室町時代                       ●日野資朝(ひのすけとも)                        後醍醐天皇の側近。                 鎌倉幕府転覆を画策。                皆さんもよく使う「今夜は『無礼講だ!』」の    「無礼講」と言う言葉を世に広めた人物。       ●北畠親房(きたばたけちかふさ)            後醍醐天皇の側近筆頭格。             「大日本は神国なり」から始まる歴史書「神皇正統記」 の著者。                      日本皇統は万世一系、南朝の正統性などを主張した。  ●北畠顕家(きたばたけあきいえ)            北畠親房の子。                    史上最年少、若干満12歳❗で参議に抜擢された    貴公子。                      後醍醐天皇側、南朝勢力の有力な軍司令官となり    足利尊氏率いる北朝勢と何度も激越なる戦を行い    一時は九州にまで後退させる。            しかし次第に北朝勢に押し返され、奮戦むなしく    満20歳で和泉国にて自刃。             なお、1991年に放映されたNHK大河ドラマ「太平記」  においては、その当時の人気若手女優、現在は     フランス人F1レーサー、ジャンアレジ氏の妻である   後藤久美子さんがこの顕家卿を「男役」で熱演し    大変話題になりました。

「公卿」って、京の都で蹴鞠や歌、お化粧している方々 だけとは限りませんよ。               顕家卿の様に、武士と戦場において勇敢に戦う     「公卿」も存在したのです。 

江戸時代 (幕末)                   ●中山忠能(なかやまただやす)             岩倉具視卿と共に、王政復古を目指し         小御所会議を取り仕切り、王政復古を実現する。    明治天皇の外祖父、大正天皇の曾祖父。         ●三条実美(さんじょうさねとみ)            明治の元勲。内閣総理大臣。             文久3年(1863年)の「七卿落ち」の憂き目を負うも    長州藩のバックアップで盛り返し、倒幕を実現する。  ●岩倉具視(いわくらともみ)              明治の元勲。維新の十傑。              私にとっては、まだ硬貨ではなかった時の500円紙幣の  肖像画が印象的です。                  実は、あの歌手である加山雄三さんはこの岩倉具視卿の 玄孫です。(母方がご血筋)               また、元女優であり、現在は、かつてジャニーズの   人気グループであった「光GENJI」の中で        リーダー格であった大沢樹生氏の奥様である      喜多島舞さんは来孫(玄孫の子)。

以上述べさせて頂いきました。

でも私の実感としては、ホントに、少ない人数になってしまいますね。

かたや、皆さんが歴史上で知っている「武士」は何人ご存知ですか?                     大抵の人はやはり「武士」の方が多いと思われます。

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