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本と、音楽。意識の流れ。2023_11_07 文芸誌の日。

●毎月(ほぼ)7日は文芸誌の発売日。と言ってももほとんどの人は「それなんっすか」って感じですね。いわゆる大手と呼ばれる出版社が、商売っ気なくほとんど矜持(と広報)のためだけに刊行しているような月刊誌。新潮(新潮社)、文學界(文藝春秋)、群像(講談社)、すばる(集英社)、文藝(河出書房新社、季刊)がこれにあたる。いわゆる「ジャンルとしての文学」のようなテキストを扱うもので、いわゆる「エンターテインメント小説」を取り上げる、いわゆる「小説雑誌」とは異なるポジションに位置する。といっても、そこに明確な境目はなく、SFやミステリーも含め、越境はあたりまえになっている。実売はおそらく初版7,000から10,000強というところだと記憶しているけど、最近は特集テーマによっては跳ねて雑誌なのに重版がかかることもある。「矜持と広報」なんて書いたけどこの10年代は雑誌として編集が機能していると考えていいのかもしれない。最近では、「すばる」の「中華BL」、「文學界」の「jazz」、「短歌」、「又吉」、「新潮」のこれも「又吉」、「坂本龍一」、文藝の「韓国・SF・フェミニズム」など。そんな感じなので、いきなり入手困難になることもあって、だからいちおう発売日に必ず抑えるようにしてる。追悼とか遺稿新発掘とか村上春樹なんかがフラグになる。
●一方で、どれを買っておくのかというのも悩ましい積年の課題で、そのことは20年前に「新潮」に書いて以来なんら変わっていない。各誌のテキストを全部読みたいわけでも/読めるわけでもないし、ようは分散している読みたいテキストを読みたいものだけ摘みたい。「とりあえず、ぜんぶ買っときゃいいじゃん」、とのご指摘もあるかもしれないが、ファナティックな編集ゆえに軽量鈍器化している「群像」なんかを毎月買い続ければ瞬く間に冷蔵庫ぐらいの体積が生活スペースを占拠することになってしまう。なので、良識の範囲による選別儀式が月の始めに執りおこなわれるわけです。そこにはいちおう苦しまぎれの選別理由が立ってくる。
●基準はおおむね以下。
・読むべき書き手の一挙書き下ろし(単行本になっても買うけれど)
・気になる作家の短篇、中篇(新しい書き手の発見)
・興味深い論文、エッセイ、対談(勉強)
・特集(編集志向なので)
連載は毎月は読めないので読むべき基準をクリアすることはめったにないけれど、後でまとめて読むこともある。最近なら、金原ひとみの『腹を空かせた勇者ども』なんかがこれに当たる。幸いにも連載していた『文藝』は揃っていた。逆に『ハジケテマザレ』は、『群像』が揃ってないので、1-2話よんでみて面白ければ、単行本を入手することになる。町田康の『ギケイキ3』が刊行されるはずだけどこれは連載も読んで単行本も読むパターン。そんなような逡巡と確認を、文芸誌マニアは毎月とり行っています。
●では、今月、買ったのは?
一冊は『新潮』。新しい書き手、九段理江、野々井透の中篇ですね。ふたりはすでに一定の評価を受けていて、でもその作品は読んでなくて、いつか読みたいなと思っていたらセットで出てきたのでちょうどよかった(と言いながらも、持っている文芸誌のいずれかのバックナンバーに掲載されているはず)。あとは町田康の対談とか高山羽根子のエッセイなど。
●もう一冊は『文學界』。ここ数年、購買率は『新潮』と同程度には高くなっていてそれは巧みな特集に負うところが大きい。ただ今号は特集編集ではない。気になったのは高橋弘希のロック対談。小説家としての彼の想像力はもっと評価されて然るべきだとは思っているけれど、同時にバンド経験者でもあって、だから「近現代音楽史概論B」というエッセイや、バンド小説の見本ともいえる『音楽が鳴りやんだら』を書いている。で、今回の対談はどうかというと、正直なところジャンルの嗜好性が違いすぎてよくわからなかった。ただ、いわゆるビジュアル系と呼ばれてしまう人たちの技術の凄さを知ることができた。気になるテキストのあとひとつは、気になっていた『文学キョーダイ‼︎』を読みたくさせた、奈倉有里と逢坂冬馬の対談。その点では、広報誌としての機能は充分果たしていると言える。そしてなによりふたりが実の姉弟だとは……。
●ということで来月はもう新年号なんです。新潮も、文學界も、群像も、すばるも力を入れてくるのでぜんぶ買わざるをえない月なのです。それにしても1年が速すぎる。


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