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【23-11-18】本と、音楽。意識の流れ。:床屋談義はどこまでも。

「この時期って混んでる感じですか」
「いやいや、どちらかというとヒマです。たぶん、みなさん、正月に向けて髪を切るとしたら、いつがベストなのかを見計らって調整しているんじゃないですかね。」
いつもの理髪店の店主との会話。
「正月に髪をきれいに、って、みんなそこまで気にするの?」
「そうですよ、私だって、年末に髪切りますからねえ」
「へえー……」、そこで、気づいた。
「あれ、ご自身の髪って、だれが切ってるの?」
「自分ですよ」
「え、自分でって、どうやって?鏡みながら?」
「そうですよ。後ろも合わせ鏡にしながら」
「そうなんですか……、いやてっきり視察を兼ねていろいろな理髪店に行ってると思ってた。いつからですか、もうずっと?」
「ずっとそうですね。20代の頃から。もちろん、それまでは、ふつうに散髪屋さんで切ってました。でも、じつは、僕、かなりひどいくせ毛で、うまく切れた試しがなかったんです。で、あるときに、もうこれは他の人が切るのは無理じゃね?という決定的な出来事がありまして……
               ◆
「この業界にも、カリスマっていわれるような理容師、つまり大先生がいるわけです。で、ぼくも理容師になりたての頃だったんですが、ほら、地域ごとの組合みたいなものってあるじゃないですか、その定期的な会合に、大先生が講師として来るってわけですよ。ようは髪を切る、その腕前を目の前で実演してくれる、ってことですね。なんといってもカリスマ理容師だから、組合のみんなも、どんなふうなテクニックがあるのか、期待しているわけですよ。で、当日、まあそれなりに、ああこりゃ巧そうだわ、って先生が来ました。いろんな雑誌なんかにも出ているような人なんで、みんな知っているわけですよ。立派な会場で、たぶん、組合のメンバー60人ぐらいいたんですかね、軽く沸き立っていました。あわよくばサインもらえますか、ぐらいの勢いでしたね。で、実演タイム。たぶん最初はマネキンのウイッグでやる予定だったと思うんですが、大先生も気分が乗っていたみたいで、せっかくなんで、調髪モデルになってくれる人はいないか?ってなったわけですよ。じゃあ、だれか手を挙げるか、っていうとそんなことはなく、みんな遠慮地蔵になっちゃって、というか、いきなり切ってあげるよ、っていわれてラッキーって思う人、それが大先生だからといっても、そんなにいませんよね。下手したらエキセントリックな髪型にモードチェンジされるかもしれないし。ぼくたちも若い頃は、街に出てモデルになってくれる人を探したりしてましたけど、よくよく考えたら、そんなんで嬉しがってついてくる人なんていないってのが当事者になってよくわかりました。そこで、いちばん若かった僕に白羽の矢が立ったわけです。たぶん、肩まで伸びた髪ってのもちょうどよかったんじゃないですかね。でもね、伸ばしているのには理由があるんですよ。さっきも言いましたけど、ひどいくせ毛なんで、中途半端に短く切るとカッコ悪いクルクルになっちゃうし、さらに短いとペチャってなっちゃうんですよ。だから、髪の重さでクルクルをいい感じにしてたわけです。長いと伸ばすためのドライヤーもかけやすいですからね。そう、毎日30分ドライヤーかけてようやくなんとかなる髪の毛。つまり、つまりですね、僕の髪は難しいんですよ。うまく切れない。うまく切ってもらえた試しがない。だから、いやいや遠慮します(僕の髪、難しいんでうまく切れないですよ、失敗しますよ)って感じで、かたくなに辞退しました。でも、組合にリーダー的な人がいるんですが、彼も苦労してカリスマを呼んだ手前、誰も手をあげないなんて事態をなんとか回収しないといけない。川口くん、大先生に切ってもらえるなんてそんな機会もうないよ、先生に切ってもらったら彼女にも自慢できるよ、もしかしたら雑誌デビューかもよ、とか言い始めて懐柔するわけですよ。笑いながらも目は切らな殺すぞぐらいの感じで怒ってました。もしかしたら足も踏まれてたかもしれません。でも拒否る。「いやあぼくはいいですよ、切ったばかりなんで」とかウソもつきながら(ゼッタイ失敗しますからって)のらりくらりとかわすも、リーダーも引かない。まわりの人たちも、自分に矢が立たなかったのをいいことに、行け行け、って目配せしてる。60人の衆人環視状態。さすがに、折れちゃいました。若手だったし、気まずい雰囲気に耐えられなかったんですね。「わかりました。では、(たぶん失敗すると思うんで)軽くお願いします。くせ毛なんでいつも苦労しているんですよね(だからあんまり短くしないでね)」ってことも伝えて、でも、もしかしたら大先生なんでなんとかしてくれるかな、みたいな仄かな期待も寄せながら、覚悟を決めました。で、どうなったか。

案の定です。最初は、「こういう髪質の場合は……」なんて説明しながら、ふんふん喋りながら気持ちよくいくわけですが、でも、途端に「あれ?」、「あれれ?」って感じで、顔つき、目つきが変わってきた。たぶん、切った先からどんどんクルクルってなってたんですよね。繰り返しますが、若い頃のくせ毛って切れば切るほどクルクルになるんですよ。この人、先生になっちゃったんで、最近は、良い髪質のモデルしか切ってなかったんでしょうね。どうも勝手が違う。こっちは自分の髪は熟知してるんで、ああぁそこ、そこ切っちゃダメ、ダメです、やめろ、ってな感じですよ。で、どんどん、どんどんチューニングされていく。いやチューニングじゃない。ようは短く、さらにもう一丁ってどんどん髪が減って、同時にクルックルッになってくる。でも若輩なんでもういいですとも言えんし怒るに怒れない。逆にニヤニヤしちゃったりして、愛想笑いの世界選手権、優勝ですわ。気づいたら20センチぐらいあった髪が3センチぐらいになってる。ぼくにしたら、ほぼほぼスポーツ刈りですよ。小学校以来ですよ。大先生は僕の目をみようともしないし、リーダーは世界選手権の勝者に迫る愛想笑い。とうぜん会場のオーディエンスも、あれで合ってるの?って顔でザワついてる。しかし、ただ勝つことだけを信じて負け戦にのめり込んでいく総大将を止められる人なんて誰もいない。これどう仕上げんのん?って思ってたら、大先生、やにわに少し体を遠ざけてチェックするように細目で僕のクルックルッを見て、「まあ、こんなところですか。今日のところは。」ですよ。驚きますよ。「今日は時間もアレですし、本当はここまでやりたかったんですが……」って、持っていたファイルからヘアモデルの写真を取り出して僕の顔と並べて見せる。いやいやいや全然ちゃいますやん、ビフォア⇔アフターみたいになってますやん、え?おれはクルックルッ放置ですか?「彼の髪が持つメリットを考えたらこういう感じもね、アリですね。今日は時間もね、なんですし、オーバーしちゃってね、すいませんね……」って、いやいやいや、ナシだし、謝るの時間ちゃうし、正確には「すみません」でしょう。いちおう「終わりですか?(まだ、途中っぽいけど)」って確認したんですが、「うん終わり(時間かかっちゃってごめんね)。何君でしたっけ?」「川口です」「ああ川口くん。川口くんもね、まだお若いですけど、これからもがんばってくださいね。」って、おまえモナーですよ。さすがに、組合の人たちも、こういうとき、普通はしないのにあとで髪洗ってくれたし、謝礼包んでくれました。でも、自分の店に戻ったら、「おまえ、サルみたいになっとるやん。どしたん」とか言われたり、もうさんざんでした。床屋やってて言うのもなんですが、切る人と切られる人の相性みたいなのが確実にある。なので、これから一生、自分で切ろうって決めたんですよ。」
               ◆
「でも、いまはくせ毛じゃないですね。いい感じに揃ってるようにみえる。お年のわりには豊かだし。」
「そうなんですよ。じつは、これにもわけがありまして……」

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