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改めて母親という存在価値

目覚める前の浅い夢の中で母の
ことを思い出していた。
わたしは疲れが溜まっていて
身体が硬くて眠りに落ちることが
出来なくて昨夜は困っていた。

母は40で配偶者を亡くした。
小売店をしながら、3人の娘を
育てた。
朝から晩まで休みなく働いて
洗濯してご飯作って子どもの世話
学校行事や書類提出やらもした。
体操着、給食の白衣の洗濯や
上履き洗いも母がした。
1番下の妹は5歳だった。

わたしは15だったがメンタルのケア
なんてキャパ的に無理な母を恨んで
病んでいた。
世代が違うし繊細さも違うから
仕方ないのに当時の幼いわたしは
母に理解されないのを憤っていた。

(発達障害傾向の人ってすごく
自分を理解されたがるようだ。
自己顕示欲、承認欲求もあるが
誤解をされやすいので自分語り
をしがちだ。
さらに感覚過敏で繊細だから
出来事を大きく捉えてしまう。
自分と同じレベルのやり取りを
求めてしまうから苦しいのだと
思う。当時のわたしはこの要素
が強かったように思う。)

母を思い出すと疲れたーとか
弱音を言うのが申し訳なくなる。


こんなに「くたびれているなう」
なわたしは今の夫とは子どもが
いない生活だ。
平日はパートの仕事と食事の支度
自分のことだけすればいいのだ。
夫は自分ことは自分でするし
家事も積極的にやってくれる。

子どものいる人は帰宅してもまだ
動かなくてはいけない。
わたし以外のパートさんはみんな
真面目で責任感が強い子持ち主婦だ。

例外はいるがほとんどの母親は
子どもが生まれた瞬間からずっと
休みなく否応なく子どものために
動かされることをしてきていて
理不尽でも自分が動くことに
慣れた人たちだ。


どんなに疲れていてもご飯を食べさせ
お風呂に入れ、明日は学校に送りださ
なくてはいけない。
牛乳パックを用意し書類に目を通し
予定を確認して書類を提出しなくては
いけない。
いきなりお弁当の通達が来たら
それにも対応しなくてはいけない。

自分のためではなく人のケアの
ために考え動かなくてはならず
不備があると自分の責任にされる
母親という辞められない仕事。
日本は特に母親と子どもはセット
で捉えられているからね。

少子化というけれど日本で母親を
する時に背負わされるものの多さに
女性は気がついてきているし
男性はその負担を自分も背負い
尚且つ経済的にも苦しいことの
メリットデメリットを冷静に
見比べているのかもしれない。

わたしは瞑想をしてきて
すごく救われたと思う。
「自分」だと思っているものから
少し距離をおいて考えることが
できるようになったからだ。

自分の感情やプライドを脇に置き
自分の考え方や自分の見方が
間違っているかもしれないと
考えられるようになった。


わたしを解ろうとしてくれない
母が悪いとどこかで思っていた。
「母親のくせに」「母親なのに」と
女性を縛ってきた昭和の役割の鎖に
自分自身も縛られていて
「わたしには極上のケアをせえ」
と甘えていたのだと思う。

だからわたしも子育て中には
PTAやら子ども会やら地域活動
など人目を気にして良い母を目指し
神経質に頑張って疲れていた。
子どものやらかしはイコール
わたしの努力不足を指摘された
と思っていた。
自分を含めダメな母親を見下し
厳しかったのは自分が洗脳されて
いたからだった。

変えるべきはいつも自分の捉え方だ。
今は理解が狭いかもしれない。
誤解して受け取っているかもしれない。
テレビやTwitterや誰かのなにかに
洗脳されているかもしれない。
見方が自分サイドに寄りすぎて
いるかもしれない、、、と。

問題が起きる。
問題のように見えても実は
自分に新しい捉え方を与えて
もらえるチャンスだ。

尊敬するパートのおばちゃん達と
母も同じだったのになぜ気がつか
なかったんだろう。
そしてわたしも頑張っていた尊敬
すべき日本のお母ちゃんだったんだ。

その高い母親ハードルで潰れたり
自己採点が低い女性も多いかもな。


いや、もう母親という存在の
素晴らしいことよ。
その責任感の強いことよ。
お母さんて偉大だ。
母親の経験は宝物だ。
ありがとう世界中のお母さん。
特に日本のお母さん。

母親の再評価は自分の再評価で
それから周囲の人たちの再評価
に繋がりました。
自分も周囲の人も素晴らしいんだ
とキラキラし始めた。

わたしにこんな嬉しい気付きを与えて
くれたこの瞬間、運命の有り難さ。
両親、ご先祖、スワミジ師、導いて
くださる存在やアヴァター様達
全てにありがとうございます。


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