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困難の先に広がる世界

ライオンズゲートとか何年前から
言われ出したんだろう?
わたし自身は何も実感はないのだが。

何人かそれについて書いている人
の記事も読んだがよく分からん。
そのゲートを越えるには試練が
あるらしい。

いや、確かにそんなことはあるかも
しれない。


だいたい光が差すとか
エネルギーをもらうとか
ステージが変わるとか
運が開けるとかいうと
受け身でいてもなんか良いもの
もらえる雰囲気だけど

自分の器を広げる時には
キャパの限界を越えさせるような
出来事が起きてきたように
記憶している。


いや、そんなど根性出さなくても
いつもと違う選択をする
自分の意見を引っ込めて
人の意見に耳を貸すとか
好奇心のままちょっとやってみる
人に会ってみる
チャレンジしてみるとかして
いつものルーティンからは
抜けた方がいい。

今の選択が次を作る。
棚ぼた狙いの人は他力本願で
行くことを徹底したらいいと
思うんだよね。
思い通りに持って行かせようと
しないで、とにかく運任せで
天に任せて流されていくのだって
腹を括ってほしいよね。

想定外の出来事から学べる人と
人のせいにして可哀想な自分に
居続けて人からの同情の施しに
よって変化する人もいる。

その生き方でもいいと思う。
ただ他人は思い通りにはならない
から振り回されて不満は起きる。

モラハラの人はそうやって
誰かに依存しているくせに
自分のための願いを人を使って
叶えようとして怒っている。

お前の背中の痒いところなんて
自分じゃなくちゃ分かんないよ。

「愛しているなら分かってくれる
はずだ、分からないのは愛が足りない
からだ、けしからん」と傷ついて
怒って脳内ママに復讐している
駄々っ子のよう。
本当に幼児期に獲得した傷や
思い込みは無意識に影響する。

依存的な人は支配欲が強い。
人に期待して人を自分の思い通り
にさせようとする。
自分でやればいいのに。
自分の機嫌を取ることも
自分を幸せにすることも
自分じゃなくちゃ100%には
できないのにね。

人に期待する人といえば
自分の思い通りの反応が返らない
とあからさまに機嫌を悪くし
怒りをぶつけてくる人がいた。
わたしは友達だからと感情の
ケアをして甘やかしてしまった。
それは負担だったけれど
わたしの愛情だった。
楽々と気にせずにしていたわけ
ではなかった。

けれども
その人はそこに感謝はしていない。
わたしの気持ちなんて考えて
いない。
サンドバッグ。
分かってくれる人。
寄り添ってくれる人。
そしてそうでない時は怒りを
ぶつけても良い人。

いや、わたしには好き嫌いも
感情もある。
拘らず忘れっぽいけれど
大事にされないことは不快だ。

自分はこれだけしてあげてる。
でもそれが喜ばれてないことも
実はあるのよ。
我慢して付き合っている場合も。
頼んでもいないのにやたら
アドバイスしてくる人とか
本音はめんどくさいよね。


そういう役割を求めてくる人は
こちらの人格をリスペクトして
いないのだ。
「母親」「家事を請け負う人」
「わたしに感謝すべき人」
「自分のケアをすべき人」としか
認識してないのだろう。

そこから抜けよう。
そんな関係性は捨てよう。


相手に変わることを期待して
期待通りに振る舞うことは
お互いに依存しているだけだ。
その面倒な人からのリクエストを
断る時に
「ああ、ごめん、
今はライオンズゲートが
開いている時なので
それはやらないことにしたの」

と、使ってみたらいいんじゃ
ないかなどと考えた。


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