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【SNK】侍じゃねえ【侍魂】

『サムスピ』シリーズに存在する丸族筆頭、覇王丸(ちなみにほかのメンバーは、閑丸、夜叉丸、羅刹丸)。歴代作のすべてにプレイアブルとして参戦している唯一のキャラであり、シリーズを代表する元祖主人公でもある。
 今回は、忍者多すぎ問題と並んでたびたび『サムスピ』シリーズで取り沙汰される、意外に侍少なすぎ問題について、覇王丸にフォーカスして語ろうと思う。
 このぼくが! 勝手に!

 ということで、おおらかで陽気、細かいことにこだわらず、豪快だが意外に教養があり、ストイックに強さを追い求める男、覇王丸の生い立ちから。
 1763年、覇王丸は貧乏旗本の跡取り息子として生まれた。プロフィールを見ると、狂死郎が明確に江戸で生まれたと書かれているのに対して、覇王丸の生国は武蔵国とされている。こうした表記のせいで何となく、「武蔵国のどこか江戸じゃない場所で生まれたのかな?」みたいな印象を受けるのだが、父親が旗本なら覇王丸も江戸生まれでほぼ間違いない。旗本というのは徳川将軍家に仕える家臣のことで、数千石取りの大身旗本を除けば、基本的に江戸に住むことが義務づけられているからである。

 さて、貧乏とはいえ旗本、ということは、覇王丸の父親はどこかにそれなりの知行を持つお殿さまであり、覇王丸は若さまということになる。いずれは家督を相続し、毎日お供を連れて江戸城に登城することになるであろうご身分である。しかし覇王丸は幼い頃から剣術に没頭し、旗本の若さまらしくもなく、たびたび修行の旅に出かけていた。
 15歳の時、覇王丸は修行の旅の途中で四国(おそらく土佐)を訪れ、そこで出会った柳生十兵衛にコテンパンにされてしまった。そこで上には上がいるという現実を見せつけられた覇王丸は、それまで以上に剣にのめり込んでいったのである。
 ちなみに覇王丸には脇坂静という許嫁がいる。いわゆるやられボイスの「おぉし、ず……!」である。覇王丸が旗本の跡取り息子ということで、おそらく静も旗本か後家人の娘なのだろう。エンディングなどを見るかぎり、ふたりは相思相愛のはずなのだがーー。

ナカタトモヒロさんによる覇王丸。おシャルやお静ならずともこれは惚れるやろ。

 23歳の時、覇王丸は一念発起して旅に出る。それまでの武者修行とは違い、二度と生家には戻らないと決意した上での出立だった。俗にいう出奔というやつである。
 そしてこれ以降、覇王丸は日本全国、時には南米やフランスにまで足を伸ばし、ワールドワイドな修行の日々を送ることになるわけだが、問題はゲームで描かれていない部分。
 家族と縁を切ってまで剣の道を歩むことを決めた覇王丸自身はそれで満足かもしれないが、残されたほうはそうはいかない。まず、唯一の男子が出奔してしまったのではお家断絶となってしまう。一応、覇王丸には姉がいるので、じゃあそっちが婿を取って家を継げば? と思わなくもないが、覇王丸が出奔したのが23歳の時ということは、最低でも姉は24歳以上、江戸時代の武家の娘ならとっくに嫁に行っている年齢。おそらく覇王丸の父親は、慌ててどこかから養子をもらうために奔走させられたに違いない。
 さらに問題なのは、許嫁の静まで放り出して旅立ってしまったこと。覇王丸が23なら静だってそれなりの年齢だろうに、その年まで婚約状態で引っ張った末に結婚せずに出奔はひどい。じゃあ静と祝言を挙げてから出奔すりゃよかったのかといわれればそうではないが、覇王丸の身勝手さのおかげで、静は完全に婚期を逃すはめになってしまったのである。おそらく覇王丸の父親は、慌てて脇坂家に出向いて土下座したに違いない。
 この旅立ちに際し、覇王丸は家名や許嫁といっしょに親からもらった名前も捨てた。そこでその代わりに名乗るようになったのが、近所の学者につけてもらった覇王丸という名なのである。……なかなかネーミングセンスのある老学者よ。
 つまり覇王丸には本名が存在するわけで、せめて許嫁のお静くらいは本名で呼んでやれよと思わなくもないが、おそらく、そもそも覇王丸の本名は設定されていないのだろう。

 覇王丸が生きていた時代は、江戸時代全体で見れば、すでに終盤に片足を突っ込んでいる(覇王丸の晩年ともいえる『蒼紅』の舞台は1811年、黒船来航の約40年前に当たる)。戦国の気風もとうに失われたこの時代に、覇王丸のように純粋に強さを追い求める武士はかなりの少数派といっていい。よくも悪くも戦のなくなったこの時代の武士は、腕っぷしで幕府に貢献する番方(いわゆるブルーカラー?)としてのはたらきよりも、官僚、事務方として貢献する役方(ホワイトカラー)としてのはたらきを求められることが多く、剣術は武士のたしなみのひとつになりつつあったからである。
 ただし、だからといって覇王丸が立派な武士、侍なのかといわれるとそうではない。まともな武士であれば、剣の腕はともかくとして、まずは主君への忠節、次に親への孝行や家名の存続こそを本懐とすべきであるはずなのに、覇王丸の場合は前述の通り、残された家族がどれだけ苦労するか判らないはずもないのに、将軍家への御奉公も、家督の相続も、親からもらった名前も、許嫁すら放り出して旅に出てしまっている。
 何かしらの罪を得て逃亡した、もしくはお家が取り潰されたというならこうした出奔もなくはないと思うが、覇王丸の場合は特に切羽詰まった理由があったわけではなく、

「強くなりてぇなあ……そうだ! 武者修行の旅に出るか!」

 みたいなふんわりした理由で家を飛び出してしまったのである。江戸時代の武士的メンタリティで考えれば、この男は明らかに頭がおかしい
 しかも、たとえ落ちぶれても武士の魂だけは失わん! みたいな浪人も多い中、覇王丸は武士の魂ともいえる刀で大道芸を披露して路銀を稼いだりしている。身分がどうのという前に、もはや精神面でさえ武士でもなければ浪人ですらない。
 要するに覇王丸は、単に人を斬るのがうまい刀を持った浮浪者なのである(辛辣)。それでも覇王丸がダメなヤツ、みたいに思えないのは、それはぼくたちの価値観が現代日本のそれだからであるにすぎない。
 おそらく覇王丸本人は、自分が武士失格ということは重々承知の上、家族や許嫁に対して本当に悪いと思いながらも、それでもストイックに強さを求めることをやめられず、精神的にも身分的にも武士の領分から飛び出した自由人というべきなのだろう。

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