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「交わること」嬉野さんの言葉の切れはし#330

見知らぬ通りすがりの人と、ちょっとした言葉を交わす。
そんなささいなことが、ひょっとしたら、ぼくら人間にとって、信じられないくらい大切なことなのかもしれない。
ーー嬉野雅道

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さて、先日ね、出勤する時に、うちのマンションのエレベータでクロネコの人と乗り合わせましてね。
夕方でした。
クロネコの人は、左手にダンボール箱を抱きながら右肩をエレベータの壁に預けるようにして、斜めにもたれかかっていましたね。
疲れているような、ひょっとしたら苛立っているような、そのどちらともとれるような、そんな表情でした。
事実、彼は、乗り込んできたぼくを見るでもなく、そのことで、特にいずまいを正すわけでもなく、会釈をするわけでもなく、相変わらず壁にもたれたその姿勢を崩そうとはしませんでした。
やっぱり疲れているんだろうなぁ、そんなふうに思いました。
やがてドアはしまり、ゆっくり降下して行く密室の中で、ぼくらは無言のまま、しかしお互いを意識しながら、再びドアが開くのを息をつめて待っていたのです。
そう言えば、年末です。
お歳暮のシーズンですもんね。
だからクロネコの人も普段より忙しいのかもしれない。
そう思ったら、それがそのまま言葉になって、ぼくの口からするっと出てしまったのです。
「やっぱり、この時期って、荷物、多いんですか?」
口にしてしまってから少し後悔しました。
余計なお世話だったかもしれないからです。
疲れていたり苛立っていたりする時は、余計な気遣いなどしたくないものです。答えたくないことだってあるはずです。
「多いです」
しかし、クロネコの人は、意外にすんなりぼくの言葉に応えたのです。
ぼくは、質問を続けました。
「普段とは、比べ物にならないくらい無闇に多いんですか?」
「もうね、比較にならないです。ひとりじゃやってられないよ」
クロネコの人の最後の言葉が、哀願するような口調になって吐き出されたのが可笑しくて、ぼくは、つい笑ってしまいました。
それを受けて、クロネコの人も、何かがふっきれたのか、ぼくの顔を見て一緒に笑い出していました。
たったそれだけのことでしたが、クロネコの人の表情に赤みが差し、気持ちに余裕が戻って行くのが分かりました。
それは、ぼくと彼との、ほんの少しだけの交わりだったけれど、そんな少しの交わりが教えてくれることは予想以上に多い、そんな気がします。
この人も頑張ってるんだな。
ぼくは、そう実感し、彼に共感することができました。
彼も思ったはずです、大変なのは、自分だけじゃないんだなって。多分、みんな頑張ってる。多分そうなんだなって。
そう思えただけで、不思議と温かいものが、すうっと胸の奥に湧いてくる。
そんなことがある。
ぼくと、クロネコの人は、そうやって、出会った時の表情とは違う、笑顔になって、赤い西日の差す明るい通りへと出て行くことができたのです。
悪いもんじゃない。
ぼくは、思いました。
交わることは悪いものじゃない。
見知らぬ通りすがりの人と、ちょっとした言葉を交わす。
そんなささいなことが、ひょっとしたら、ぼくら人間にとって、信じられないくらい大切なことなのかもしれない。
そんなことを、もうずいぶん長い時間、ぼくらは忘れているのかもしれない。
そんなふうに思いました。
ーー嬉野雅道(水曜どうでしょうディレクター)

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