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「つまんないもの」嬉野さんの言葉の切れはし#354

理屈なんてどうでもいい。
だれが正しいとか正しくないとか、どうでもいい。
あなたは、どうしてそんなに大きな声を出して私を責めるの。

そのことが、あの時の女房には、悲しかったのかも知れない。
ーー嬉野雅道

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昔はうちの奥さんと盛んにケンカしておりました。
で、大体がつまんない理由だったと思うんです。
だって、何が原因であの時ケンカしたかなんて、今、なにひとつ覚えてないわけですから、いずれにしたって大したことが理由じゃないということです。
要するに双方の主張のし合いです。

で、具体的じゃないことを例えに出して、ここでみなさんにお話するのもと思うんですが、仕方がない。とにかくその時、私ら夫婦が、もめたとお思いください。

その時、私には、まったく自分が間違った対応をしたとは思えなかった。
だから何としても譲れなかった。この辺りが揉めた原因だったと思います。

「いい?こういう状況だったから、オレはこういう対応をしたわけでしょ。だからこういう結果になって、そのことに何の不都合もない。わかるよね」
こういう具合に、私は、うちの奥さんに理路整然と状況をおさらいするわけです。

「そうね。たしかにそうね。よぉく分かった」
という言葉を、私は当然のこととしてうちの奥さんに期待するわけです。

ところが、うちの奥さんは、私が期待する言葉をまるっきり吐かない。
それどころか、ただひと言、いうわけです。

「わかんない!」と。

それを聞いた私は、内心憤るわけです。
(分かんない?分かんないってどういうことよ、これだけ説明して、なんでこんなに簡単な理屈がわかんないのよ)。

私は、またも根気良く、話せば分かる内容だと強く思い直して、前にも増して、状況を丁寧に説明していくのです。その作業でこっちはもうへとへとになるくらい。
でもって、何遍も何遍も説明してるから、こっちが間違ってないことがますます明らかとなって、どんどん自信が湧いてくるほど私は間違っていないのです。
だから今度こそ、「そうか…」とうちの奥さんがしおらしく納得してくれるはず。

ところが、うちの奥さんは、またしても言うわけです。

「わかんない」と。

「なぁんでよぉ!何でわかんないのよぉ!」

もうね、エンドレスなんです。
私が幾度、説明を繰り返そうと、水平線の向こうに昇った巨大な疑問符のように、うちの奥さんの「わかんない」の一言の前に、理屈の全てが瓦解するわけなんです(泣)。

結局、何の解決も見ず、
ただ、私の声だけが、説明の度にどんどんデカクなるばかり。

で、その日。
この夫婦のいさかいが、どのあたりで決着を見せたか、
そのことはもう思い出すこともできませんが。

ただひとつハッキリと覚えているのは、
その夜から、この亭主は、考え始めたということです。

「こんな簡単な理屈、なんで、わかんないんだろう?」と。

来る日も来る日も、亭主は、ぼんやり考えて、
やがて、ひとつの結論にたどり着くのです。

あの時、女房が、「わかんない」と言い張ったのは。
亭主の理屈が分からなかったからではない。

ただただ、理屈を分からせようとしていた亭主の気持ちが、女房にはわからなかったのかもしれない。「わかんない」というのは、そんな亭主に対する女房の答えだったのかもしれない。

理屈なんてどうでもいい。
だれが正しいとか正しくないとか、どうでもいい。
あなたは、どうしてそんなに大きな声を出して私を責めるの。

そのことが、あの時の女房には、悲しかったのかも知れない。
だから「わかんない」としか言えなかった。

その結論にたどり着いた時。
なんだか、私は、ぼんやりしました。

どっちが間違ってるとか、間違ってないとか。
どっちが正しいとか正しくないとか。
そんなことに、本当は、たいした意味は無いのかもしれないのに。

そんなことより、もっと大切なことがあるはずなのに、
そのことに、少しも気づこうとしない。

本当は、自分だって、心の底では求めているものなのに、
そのことに、少しも気づこうとしないでいる。

ぼくらが、本当に、求めているものは何なのか。
ぼくらに、一番大切なものは何なのか。

そのことをね、
ここに書いてしまった瞬間に、
それは、あっという間に、つまんないものになりそうなので、
書きません。

言葉にした瞬間。
あっという間に、つまんないものになってしまうような、
そんな頼りないもの。
そんな頼りない、つまんないものが。
本当は、ぼくらにとって、一番大切なものなのかもしれない。

そんなもののあることに、あの日、亭主は、ぼんやりとたどり着いた気がしたのです。

だからね奥さん。
「わかんない!」と、ご亭主に言ってあげることも、
意外と大事なことかも知れませんよ。場合に寄ってはね。

だって人間は、考えるきっかけを与えてもらえないと、死ぬまで考えないで終わるものですから。
ーー嬉野雅道(水曜どうでしょうディレクター)

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