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海外在住ひとりっ子 母の介護

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40代ひとりっ子の介護日記です。子宮頸癌末期の母を、ひとり自宅で介護しています。毎日、母の激しい痛みと戦っています。
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#癌

せん妄が始まる

自宅での介護が始まってから1週間して、母は痛みが強くなり、2週間して、さらに痛みが強く、ほぼ1時間おきにオキノーム散を飲ませないといけない状態になってしまった。 見ているのも辛くて、母と二人、夜も眠れない日が2-3日続いたため、訪問医が、朝夕のベースの痛み止め、オキシコドンを増やした。さらに、リリカも1日1錠から2錠に。 おかげで、痛みを訴えることが減り、少しほっとしたのだけど、ほぼ1日中眠っていて、ご飯の時間に起こすと、目は開けて、食事をしてもまだ夢の中にいるようで、不

緩和ケア病棟の初診

母が今まで外来および入院でお世話になってきた病院は、緩和ケア病棟がなく、さらに大きな病院は回転率を上げなくてはいけないため、末期の癌患者は退院を促される。 選択肢として提案されたのが、緩和ケア病棟、療養型施設、そして自宅。でも、1日25000円の個室ならこのまま入院していることも可能ですよと、しっかり営業もしてきた。 療養型施設は、最低でも月額30万とかなので、現実的ではないし、自宅での介護も、最初はひとりで全部やれる想像ができず、まずは緩和ケア病棟を当たろうとした。

介護の日常

毎日、朝8時に母に朝食を取らせ、薬を飲ませる。母の場合は末期癌なので、何かを治すための薬を飲んでいるわけではなく、痛み止めと、抗生剤、胃腸の薬。1日の薬の量を合わせると、20錠近くある。 痛み止め薬は、腸の働きを弱くしてしまうので、便秘になりがち。だから、胃腸を働かせる薬も必要になるという。薬のための薬。 そもそもどんな薬も、どこか悪いところを治すわけではなく、症状を抑えるという表現が合っていると、以前誰かが言っていた。 母は、昨年の夏から、腎ろうを入れているため、尿は

自宅介護は何もかも初体験

母の自宅介護が始まって、まだ4日。今日は、これまででいちばんハードな一日だった。 母が2日ほど便秘をしていたので、午前中、訪問看護師が来て、母のおしりを刺激。すると、母が、痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!と、今まで聞いたことのないような叫び声をあげた。しばらく待ってみても、出そうとは言うものの、お通じはなく、諦めて、身体を拭いて、オムツだけを取り替えて、寝かせた。 日中は落ち着いていて、お昼も少し食べた。夕方、ベッドに座ると言って、トイレに行くと言う。歩くのはやっぱり無理で

周りの人は自分の鏡

母が病気になってから、アメリカと日本を年に2回以上往復したり、日本に長期滞在することが何度かあり、その都度、会社の社長には、多大な理解をしてもらっていて、心から感謝している。介護休暇などないし、有休はとっくに使い果たしているので、実質、期限のわからない休職状態になっているが、また同じポジションに復帰できることはわかっている。社長自身がひとりっ子で、日本にいたお母さんが、認知症や肺炎を起こしたりで、頻繁に日本に帰っていて、看病をした末、2年前に亡くなったこともあり、私の状況をよ

子宮頸癌の末期とは

看病や介護は、ある日突然やってくる。心の準備が整ってから始まるわけではないし、仕事ならある程度経験があれば、何かトラブルが起きても対処の仕方がわかっているけど、介護は、そうもいかない。 3年前に治療中が始まる時も、治療が始まってから、その後の経過中も、今のような寝たきりの状態になってからも、母の命に係わる決断を迫られる。れいのごとく、ひとりっ子なので、最終的には私が決めることになる。 母が子宮頸癌とわかってから3年以上、今も、次はどんなことが起こるのか知りたくて、ネットで