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海外在住ひとりっ子 母の介護

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40代ひとりっ子の介護日記です。子宮頸癌末期の母を、ひとり自宅で介護しています。毎日、母の激しい痛みと戦っています。
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#看護

せん妄が始まる

自宅での介護が始まってから1週間して、母は痛みが強くなり、2週間して、さらに痛みが強く、ほぼ1時間おきにオキノーム散を飲ませないといけない状態になってしまった。 見ているのも辛くて、母と二人、夜も眠れない日が2-3日続いたため、訪問医が、朝夕のベースの痛み止め、オキシコドンを増やした。さらに、リリカも1日1錠から2錠に。 おかげで、痛みを訴えることが減り、少しほっとしたのだけど、ほぼ1日中眠っていて、ご飯の時間に起こすと、目は開けて、食事をしてもまだ夢の中にいるようで、不

緩和ケア病棟の初診

母が今まで外来および入院でお世話になってきた病院は、緩和ケア病棟がなく、さらに大きな病院は回転率を上げなくてはいけないため、末期の癌患者は退院を促される。 選択肢として提案されたのが、緩和ケア病棟、療養型施設、そして自宅。でも、1日25000円の個室ならこのまま入院していることも可能ですよと、しっかり営業もしてきた。 療養型施設は、最低でも月額30万とかなので、現実的ではないし、自宅での介護も、最初はひとりで全部やれる想像ができず、まずは緩和ケア病棟を当たろうとした。

旦那の存在

昨年末、FacebookのCOO、シェリル・サンドバーグが書いた「オプションB」を読んだ。Facebookのファンでもなく、彼女のファンでもなかったが、彼女の夫が当時、突然亡くなったことを新聞で見て知って、胸が傷んだ。 「オプションB」は、夫を失った彼女自身の体験をまとめた本であり、大切な人の死を乗り越えて生きていく過程で得た学び、考え方や術を伝えていて、本の内容のいくつかは、今も時々思い出し、とても心の支えになっている。 その中のひとつ、彼女にセッションを行う心理学者の

介護の日常

毎日、朝8時に母に朝食を取らせ、薬を飲ませる。母の場合は末期癌なので、何かを治すための薬を飲んでいるわけではなく、痛み止めと、抗生剤、胃腸の薬。1日の薬の量を合わせると、20錠近くある。 痛み止め薬は、腸の働きを弱くしてしまうので、便秘になりがち。だから、胃腸を働かせる薬も必要になるという。薬のための薬。 そもそもどんな薬も、どこか悪いところを治すわけではなく、症状を抑えるという表現が合っていると、以前誰かが言っていた。 母は、昨年の夏から、腎ろうを入れているため、尿は

先月から収入なし

私は、アメリカにある会社で働いているため、現在は会社をお休みして、母の介護をしている。 有給休暇は、とっくに使い果たしてしまったので、先月の中旬以降からは、収入なし。 貯金とも言えないお金を切り崩し、今日の時点ではなんとかなっているが、来月、そして、さらに先のことを考えると、怖くなる。というより、先が見えないのが、余計に怖い。 いつか母が寝たきりになり、日本で介護する日がくるだろうと予測はしていたので、副業としてフリーランスでの仕事をなんとか軌道に乗せようとしてきたが、

痛みと戦う毎日

母は、朝と夜にオキシコドン徐放カプセル40mgを、1回につき3カプセル飲んでいる。これが、メインの痛み止めで、それ以外に痛みがある時はレスキューとして、オキノーム散10mgを2包飲む。 子宮とその周り、仙骨、おしり、太ももが痛むよう。右足の太ももは、浮腫みが硬くなっていて、循環が悪くなっているので、マッサージするといいらしい。 私自身は、ご飯の用意、薬、下の世話、体勢を変えてあげるのですでに精一杯で、マッサージまで手がまわらない。でも、今日は足に血行促進のクリームを塗って

ひとりっ子の親の介護

ひとりっ子なら、ほぼ誰もが一度は思ったことがあるだろう、 私にも、兄弟姉妹がいたらよかったのに…。 母が病気になったころも、そして今も、少しでも交代してくれる人がいたら…、何より、次々とやってくる日々の決断しなくてはいけないことを、同じレベルで相談できたり、共感してくれる人がいれば…と思う。 自分の分身がいたらな...。 たまたまネットで見つけた、コメントで、ひとりっ子で祖父母とお母さん3人をひとりで介護している人がいた。ネットはどこまで本当かわからない時代だとはいえ

自宅介護スタート

約2カ月の入院生活を終えて、おととい母を家に連れて帰ってきた。 退院日が決まった1週間前から、バタバタで、しかもずっと気が張っている中で、細かな色んなことが日々起きる。 退院当日の朝、そんな日に限って母がう○ち出ると言い、しかもトイレに行くと言うので、ダッシュで車椅子を用意。看護師も手伝ってくれて、トイレに連れて行き、オムツも替えてベッドへ戻った瞬間、まだ出そう…と言い出し、また車椅子でトイレへ。またオムツを替えてベッドへ戻ったら、休む間もなく介護タクシーの運転手さん

周りの人は自分の鏡

母が病気になってから、アメリカと日本を年に2回以上往復したり、日本に長期滞在することが何度かあり、その都度、会社の社長には、多大な理解をしてもらっていて、心から感謝している。介護休暇などないし、有休はとっくに使い果たしているので、実質、期限のわからない休職状態になっているが、また同じポジションに復帰できることはわかっている。社長自身がひとりっ子で、日本にいたお母さんが、認知症や肺炎を起こしたりで、頻繁に日本に帰っていて、看病をした末、2年前に亡くなったこともあり、私の状況をよ

母の人生を想う

母が入院している病院とは、すでに3年以上の付き合いになる。緩和ケア科はあるのに、緩和病棟はなく、今後のために実際に探してみると、意外にも都内にある緩和病棟は少ない。しかも、どこもいっぱいで、まずは初診面談の予約をする。面談が終わってから、保険の範囲内のベッドがすぐ空くことはなく、差額ベッド代がかかるベッドからなら入れるということもよくあるそう。ちなみに、初診面談費用は保険外で、都内の某病院は24000円。そして差額ベッド代が、30000円台。 第一希望の病院は、近所でよく知

母の看病1カ月経過

1月25日に入院した母の主治医から、「このまま熱が下がらないと、意識がなくなる可能性があります。帰って来られますか?」と電話をもらったのが、1月30日、日本に到着した2月1日から毎日、母がいる病院に通って看病している。 母は、2014年の12月25日、パート先の和食レストランで倒れ、救急車で病院に運ばれた。年末だったので精密検査が翌年に持ち越され、2015年の正月明けの検査で、子宮内に7cmの腫瘍が見つかり、子宮頸癌4期と診断された。 私は当時からすでにアメリカで結婚生活