連載小説【フリーランス】#17:六畳一間のグランドピアノ

 その頃、CLOSETではある女性ピアニストと共同で演奏会の企画を進めていた。蔵石さんは音大を卒業して、昼間は派遣の事務、夜はジャズバーやホテルのラウンジでピアノを弾きながら、六畳一間の和室でグランドピアノと暮らしているという。

「ピアノのせいで私の生活空間は完全に乗っ取られています。寝るときもピアノの下に布団を敷いてるんですよ」

 グランドピアノに“置かれている”六畳間を想像して、幸代は思わず笑ってしまったけれど、実際のところ笑っていいかどうかは五分五分だった。六畳一間のアパートにグランドピアノがふさわしいかどうかといったら、十中八九ふさわしくない。ふさわしくないどころかはっきり言って常軌を逸している。が、彼女にとってそれはなくてはならないものなのだ。部屋のためにグランドピアノがあるのではなく、グランドピアノのために部屋があるのだから。それに、

「私はピアノのしもべなんです」

 と話す蔵石さんはとても楽しげだった。

「それで、今度の演奏会では、うちの部屋をここに再現したいんですよ」
「自宅を?」
「はい。ホームリサイタルみたいに、私がいつもピアノを弾いている空間にお客さんを招いて、共有しながら見てもらいたいんです。床に畳を敷いて、普段使っているちゃぶ台とか布団とか、うちから持ってこようと思って」
「面白いですね。たとえば自宅の窓から見える景色を映像に撮って、プロジェクターで流すのはどうですか?」
「いいですね! タイムラプスで撮れば時間の流れも表現できるし、朝、昼、夜でセットリストを組むのもありかも」

 幸代の提案に反応した蔵石さんはそこからさらにどんどんアイディアを広げていく。更地に家の土台が築かれていくのが見えた。

「私は普段、部屋で作曲しているんですけど、音楽はそれが生まれる環境と深くつながっていると感じていて。今回の演奏会はそのことを検証する実験的な試みでもあるんです」
「それならライブ中にステージチェンジをしたらどうですか? 蔵石さんの部屋の再現は、左右を壁で囲って、セットみたいにしておくんです。あとでその壁が外側にバタバタ倒れて開くと、中の空間がこの会場と一体化する。蔵石さんがその日のために自分の部屋で積み重ねてきた時間が、そこで現実時間とつながるんです」
「私の部屋の再現セットからリアルタイムのライブ会場に変わるんですね! それぜひやりたいです。そうだ、最後はここでのライブ中に即興で新曲を作ってみようかな」
「いいと思います!」

 この場所から生まれる曲はどんな音を奏でるのか。想像するだけで心が弾んだ。⏩#18


⏪#16:かろうじて戦争ではなく
⏪#15:ユエナは虹の子
⏪#14:白でも黒でもない
⏪#13:ムーンボウの娘
⏪#12:沈丁花の夜
⏪#11:ミスター模範解答
⏪#10:完璧な仏像に似た
⏪#9:割れた風船の中には
⏪#8:マッチ&デートツアー
⏪#7:人生はレディメイド
⏪#6:残されたまばたき
⏪#5:マスゲーム襲来
⏪#4:風の強い日
⏪#3:渋滞のハイウェイ
⏪#2:神々の大量虐殺
⏪#1:夜の教室

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