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今の気持ちをずっと忘れないように。

8月9日、17年間連れ添った愛犬「うり坊」が
この世を去った。
死に顔はとても安らかだった。

うりとの出会いは
当時19歳の時、わんわん物語のトランプが可愛くて、
ミニチュアシュナウザーを家族に迎えようと同棲していた彼と一緒に地元のペットショップにいった時のこと。

そこにはミニチュアシュナウザーの赤ちゃんの横に、弱々しくこちらを見つめるチワワがいた。
前足が白く靴下を履いたような模様。
店員さんが与える食事を他の子はむさぼり食べるのにその子は見向きもせずずっとうなだれている。

気になった私は目的だったシュナウザーじゃなく、そのチワワを家族として迎え入れた。

目が澄み切った青空のようで
「ソラ」
と名付けた。

初めて犬を飼う私は不慣れながらにも餌を与え、
世話をするが、
家に連れて帰っても一向に餌を食べない。

不安になり病院に連れて行くと、
親から貰った先天性の病気にかかっていて、
もって3日と告げられた。

そしてその夜、
ソラは私が寝た後にひっそりと息を引き取った。

せっかく家族を迎え入れ、
これからの生活を楽しみにしていたのに、
なぜこんな悲しい気持ちにならなきゃいけないのか。
ペットショップに行きその経緯を説明すると、
飼って8日以内にそのような事がある場合は店側が責任を担います。
との事。
「心苦しいかとは思いますが、
うちにいる子で他に気になる子がいたらどうぞお連れ下さい」

死んだから次の子!
なんて気持ちになるかよ!
そんな簡単な事じゃないんだよ!

と思いながらも悲しい気持ちのままで終わるのは嫌だったので、
ソラと同じ、脚に白い模様があるチワワを選んだ。

新しく家族となったその子は、お腹が少しぽっこりとしていて、まるでイノシシの子供のようだったことから

「うり坊」

と名付けた。
もうソラの時のような気持ちになるのはこりごりだ!
この子もご飯を食べなかったらどうしよう。
病気だったらどうしよう。

そんな気持ちの中、お家でごはんをあげると。






めちゃくちゃ食べた。
そりゃもうモリモリと。





まだ食うのか。

と言うくらい食べた。






これが普通なの?
うってかわってめちゃ食うやん。


ソラの分まで食べてくれてるんだな。
嬉しいなぁー。
沢山食べて元気に大きくなれよー。
と、つい甘やかして育ててしまった。



するとウリはとっても自己中で王様気取り。
わたしにも時々牙を剥くほどわがままなワンコになってしまった。

それでもどんな時もわたしと一緒にいて、
いろんな出来事を共に過ごしてきた。



元彼にうり坊が誘拐されたり
一緒に家出したり
ベットからジャンプして脚を折ったり
自転車のカゴから落ちて走って逃げたり
人を総勢5.6人くらい噛んで怪我させたり
(うち3人は病院送り)
うんこ食べちゃったり
太りすぎてチワワじゃないと言われたり


沢山の思い出をうりと作ってきた。


そんな中、今から約3年前、
やたらと咳き込むうりをみて病院に連れて行くと、
「心臓と呼吸器官系が悪い」
と伝えられ、薬を出された。
そこから毎日薬をあげるが、以前よりも疲れやすく咳もなかなか治らない日々が続いた。

ひどい時は病院に行き点滴を打ち入院するほどに。

いよいよなのかなぁ。もうダメかもなぁ。
と思いながらも生活を共にしていたある日、
私は仕事で北海道に3ヶ月行く事となる。

我が子を置いて行けない。
仕事だろうが家族の方が私は大事。

一度仕事を断るも、悩んでいた私に当時のマネージャーさんが
「なんでもやるって言ったじゃん」
と私に言い放った言葉に、
私は覚悟を決め北海道に行く事を選んだ。

3ヶ月北海道に行ってる間に死ぬかもしれない。
私が飼い始めたのに結局面倒を見れない自分を悔やんだり、
家族に見てもらってる事に申し訳なさを感じながらも、
とにかく次私が戻るまで元気でいてくれよ。
それが一番のねがいだった。

そんな中私の人生もまた方位が変わっていく。
3ヶ月経った後も北海道と東京の半々生活が続く事となった。

月の半分以上うりといられないのだ。
私の子なのに。
罪悪感と私が東京にいない間のうりの健康を願う気持ちが日々募っていく。

東京に帰ればうりとの時間を大事にした。
一緒にいれることの喜びと幸せを感じ、
相変わらずモリモリ食べるうりを愛おしく思った。


ある日、北海道にいる間に母から連絡が入る。
「呼吸が変だから病院連れて行く」
焦るが何もできない。
診断結果を待つと
「危ない状態で入院が1週間くらい必要」
と告げられる。
こういう時に一緒にいられない環境を私は選んでしまったんだ。
戻るまでなんとか…!
と願いながらなんとか2.3日の店の営業を終え、
お店の休みに合わせて急いで東京に戻ると、うりの脚には点滴。鼻には管を通されていた。


ご飯を食べないので点滴と鼻から栄養と食事を送っているとの事。
ほとんどの臓器が危ない数値で、
緊急だった為、治療費がバカ高かったが
家族の命には変えられない。

生きててよかった。

退院してからも鼻に管を通したまま食事は注射器で鼻から。
呼吸器官が悪いのに鼻に管を通されちゃ尚更呼吸しづらいだろうなぁ、と見るのも心苦しく、
それでもご飯を食べないなら鼻から食事を与えなくてはいけない。
そんな2.3日を送っていたある日、
仕事から帰ると管が抜けていた。
自分で暴れて抜いたのだろうか。

何故か顔が清々しく、
まさかと思い餌を与えると、



めちゃくちゃ食った。

めちゃくちゃ食うやん。




管で呼吸しづらくて食べづらかったのか…??


まさかの復活を遂げそこからまた数ヶ月、
体は弱々しく咳き込んだりするも食欲は旺盛で
私が帰ると全身で喜んでくれた。(気がする)


しかし、そんな月日も束の間、
8月の頭あたりから、
ウリの呼吸が今まで以上に荒く、
足腰も衰え、歩けないほどになった。
立ててもすぐにフラフラと床に倒れ込む。
トイレに行けなくなったのでオムツを履かせる事に。

しかしここでも相変わらず食欲は旺盛で、
それだけが唯一の救いだった。


いよいよかなぁ…
と想像したくない事も頭によぎる。


8/9
大好きな仲間「HONEBONE」との2マンLIVE。
HONEBONEの北海道ツアーにゲストとして参加させてもらう事に。

東京から北海道に1泊2日で行ってまたすぐ東京に戻るスケジュール。

1日家を空けるが、
その間さえ今の状態だと危ういかなぁ。
今日がもしかしたら最後かもしれない。
昼に家を出る前、うりにご飯をあげる。

体はもう自分で立つ力さえ残っておらず、
それでも寝たまま食事だけは残さず食べた。



流石です。

「帰ってくるまで元気でいてくれよぉ。


…でも、

無理しなくていいからね…。
ありがとうね。」



そんな縁起でもないこと言いたくなかったけど、
もしかしたら無理してるかもと思い、つい言葉にしてしまった。


北海道に向かい、LIVEをし、最高に楽しく幸せな時間を過ごした。
それでもその間もずっとうりが頭の隅にいた。

打ち上げを終え、ホテルに戻りお風呂に入って、
うりの様子を聞こうと電話を手に取ると、
一個の不在着信が残っていた。

普段なら用事があったらLINEなのに…
嫌な予感が頭をよぎりながらも折り返す。

電話の向こうから

「まりちゃん……」



あ、うり、死んじゃったんだな。


と同時に


「うり死んじゃった?」


と口からこぼれた。




「…うん…」




そこからは記憶が無くなるくらい泣いた。
覚悟していたと言えど、
このタイミングで逝ってしまったこと。
死に目に会えなかったこと。
苦しみながら逝ったのではないか。
色々溢れてしまい、
止められなかった。


次の日、

夕方に東京に戻り家に帰る。
ウリはいつもの自分のベットで寝ていた。
全く動かなく、冷たくなったうりの顔はとても安らかだった。
生前は顔を近づけるとプイッとされがちだったけど、どんだけ頬擦りしても逃げられないから嬉しい。

LIVE前に「うりがそろそろ…」とSNSにあげていた投稿を見た詞葉が
「うりに会いたい」
と連絡をくれていたので、
亡くなった事を伝えるとすぐ、火葬場やペットの遺骨をアクセサリーにしてくれる人を紹介してくれた。

24時間営業で火葬車なるものが訪問し家の前で火葬してくれるというなんとも現代らしいサービスがあったので、
予約をすると夜中の12時なら空いてるとの事で、
12時に予約をする。

真夏で腐敗を恐れ、部屋をガンガンに冷やし保冷剤を敷いて冷えに冷えたうりと寒さに震え布団にくるまり、手を握りながら一緒に寝る。



この感触とももうすぐお別れなんだな。


それから30分くらい経った頃、
うりにお別れをと、エミリがうちに来てくれた。

ツアーで疲れてるはずなのに、
荷物を家に置いてすぐに駆けつけてくれたのだ。

何を喋るわけでもなく、一緒にいてくれた。

「全然〜、私もうりに会いたかったからさぁ」

と言いながらも私の心配もしてくれてるんだろうなと思った。
今日はエミリに甘えさせてもらおう。



それから、
昔からうりと何度となく顔を合わせた

ねーさん
ぎっしー
ゆうちゃん
からもうりちゃんを思う連絡がきた。

SNSでもたくさんのうりちゃんへのメッセージ。

本当にありがとう。

ウリはあんなにじゃじゃ馬だったのに、沢山の人に愛してもらったなぁ。

22時頃になると詞葉が愛犬カルちゃんを連れてウチに来た。

「一緒にお見送りさせて」

カルちゃんはうりと一歳差で1.2歳の時からよく一緒に遊んだり旅行に行ったりした。
我らの中では恋人同士とされていた。



お互いジジババになってボケてきたのか、最近じゃ会わせても老夫婦のように、空気のような存在と化していた。


うりよ。こんな美女(犬)達に見送ってもらえて本当に幸せもんだなぁ!!!

というか私もすごく幸せものだ。

納骨までいてくれて結局深夜2時くらいまで付き合ってもらった2人には本当感謝しかないです。
ありがとう。

最高の友人を持ったよ。本当に。



12時を回り火葬車が来た。

死後硬直を通り過ぎ少し柔らかくなった体を抱き上げ外に向かう。

車から降りてきた1人の女性。

これまた美人。


うりよ…。
お前、持ってるなぁ。

生きてるみたいな顔をしてるもんだから、釜に入れるの躊躇っちゃうよね。
熱くないかな?
実は生きてるんじゃないのか?って。
どうかもう一度息を吹き返してくれないかな。
かわいい顔を最後くしゃくしゃに撫で回して
みんなで最後のさよならをして蓋を閉じる。



うり坊、
総勢5人の美女(私も入れてね。)に囲まれて見送られるお前の人生、どうだった?

こんな飼い主で、まともに世話もできなかったけど、
幸せだったかな?

天国行ったらね、お父さんがいるから仲良くしてね。噛んではだめだよ。

私もいつか逝くからそれまで待ってて欲しいなぁ。

また一緒にお散歩とか行きたいな。
抱っこして一緒に寝たいな。
欲を言ったらキリないなぁ。


今朝起きたら、うりがご飯待ってるんじゃないかってゲージ覗いちゃったよ。
まだまだ寂しい日が続くよ。


でも、17歳は大往生だったね。
本当に本当にありがとう。

最後の最後まで食欲旺盛だったうりちゃんはソラの分まで生きたし食ったな。
最後の最後までうり坊みたいな体型だったな。


うりと私を気にかけてくれた皆さん、
本当にありがとう。

うりちゃん。
これからもずっとずっと一緒にいようね。
愛してるよ。



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