俺と合唱

(関係者各位:この文章はそこそこ誇張して書いているので、怒らないでね♡)

俺は歌が上手かった。

別に過去形にする必要もないか!俺は歌が上手い。自覚したのは小学生の音楽の時間で、周りの人より自分がいい声していると歌っている中で気づいた。
歌が上手い自信があったので、中学校でソフトテニス部を引退した後は大会前にだけ発足する臨時合唱団に入った。高校に入った時には、俺に運動の才はなく、賞を取るなら合唱だと思い、合唱部に入った。男子校だったので、男声合唱だった。

大学生になった。大学生になっても俺は歌が上手かった。当然合唱部に入った。混声合唱部だった。混声合唱には、女が居る。男だけで歌ってきた俺にとって憧れだった。

さて、大学に入って俺の歌のうまさを認めない連中がいた。混声合唱の名門高校で歌ってきたやつらだ。やつらは俺に対して「声が堅い!」などと意味の分からんイチャモンをつけ、果ては部員60人の前で一人で歌わされたりもした。クソが!これがきっかけではないが、俺は合唱部の活動へのやる気を失っていった。週3の練習が面倒臭く、更に言えばに練習最初の30分のボイトレが嫌で、足が遠のいた。

それに、混声合唱が憧れなどと書いたが、それは若気の至りで、自分があまり混声合唱が好きじゃないことに1年ほどで気づいた。
俺の声はバリトンだ。バリトンっていうのは、男声合唱で言えば下から2番目のパートだ。しかしながら、混声合唱ではバリトンはバスとひとくくりにされ、無理やり一番下のパートを歌わされる。一番下のパートは…低い!曲が一番盛り上がるところでもあんまり気持ちよくない音程を歌わされる。更には、バスとバリトンは合唱においては全く役割が違う。バスは、一番低いパートで、和音のベースを支える役割だ。対して、バリトンはいわゆるハモリパートで、トップとバスの間でキモく動いて和音の雰囲気を決めるパートだ。キモく動いて、最後は和音を解決させる、結構カタルシスのあるパートだ。全然役割が違う。全然違うのに、混声合唱をやるときはバリトンの人間はバスを歌わされる。こんなの嫌だ!また、男だけのハモリと女がいるハモリは、幅が違う。男だけの方が、音が近いのでハモリを感じやすい。こういった理由からも、俺は男声合唱の方が好きだ。

話が少しずれた。俺は混声合唱部の活動の熱意がなくなった。当時の学生指揮者が完璧主義だったせいで、練習は極めて厳しいものになっていた。俺は歌えればとりあえず気持ちよくなれる人間なのだが、あまりに練習で詰められるので気持ちよくなれなくなっていた。

そうして練習に全く行かなくなった。定期演奏会の第1ステージは上田真樹作曲の『夢の意味』だったが、俺はオンステージしなかった。あまりにも練習に行かなすぎて、学生指揮者からオンステを拒否されたからだ。改心して練習に来るならオンステしていいらしい。上等だ、誰がオンステしてやるかクソッタレ!大学2年生の時だった。これと引き換えに俺は一般の男声合唱団に入った。団員10人ちょっとの熟練者しかいない合唱団だ。人数が少ない分一人ひとりの責任が重くなるが、大学の部活より歌うのがずっと気持ちよかった。

大学4年生になった。大学の部活はサボりまくっていたが、なんだかんだで毎年フルでオンステし続けた。後輩にはさぞいい加減で扱いの面倒くさい先輩に見えていたことだろう。悪い!でもマジで練習嫌だったんだ。

大学院に入った。大学院生になっても俺は歌が上手かった。
大学の部活は4年で引退だ。引退後、同期から「男声の新設の合唱団を作るので入らないか?」と誘われた。
俺を合唱団へ誘ってきたそいつは、大学の部活では選挙に負けて、学生指揮者になれなかったやつだ。言ってみれば「弾かれ者」かもしれないが、指揮の腕前は確かで、すごみのある指揮をするやつだった。大学の非公式のストリート合唱団で、そいつの指揮で何度も歌ったので知っていた。当然誘いに乗った。

大学の合唱部っていうのはいろんな人間がいる。たぶん一般的に混声合唱部というのは、猫をかぶっているというか、甘ったるい雰囲気が充満している。そういう雰囲気に適応できる者もいれば、適応できなかった者もいる。また、俺と同じように部活への熱意を失った者もいる。部内の政治的いざこざに嫌気がさして辞めていった者もいる。そうした「弾かれ者」たちが、いつしかその新設の合唱団に集まっていた(もちろん全員がそういう素性というわけではないが)。

新設合唱団1年目では、演奏会で上田真樹作曲の『終わりのない歌』をやった。失恋した男が、大人になり切れず、再会の時を信じ強く願うというような歌だ。

新設合唱団2年目になった。合唱祭や合同演奏会を経て、最後は解団演奏会だ。発足時より大学院在学中の2年で活動を終える予定だったらしい。最後の演奏会の演目は、上田真樹の『夢の意味』だ。俺が大学2年の時にオンステしなかった曲だ。
この組曲の3曲目『歩いて』では、主人公が今までの人生を振り返り肯定するフレーズがある。

(以下引用)
 なあ、これでよかったのか・・・・
 ああ、これでよかったさ・・・・

 おもえば あのとき
 べつのみちがあった かもしれない
 そのみちのさきには
 べつのみらいが あったかもしれない
(引用終わり)(上田真樹作曲・林望詞『夢の意味』3.歩いて より)

ここはソロパートだ。俺含む「弾かれ者」たちが歌った。これでよかったのかと苦悩する者を、俺自身を、俺は肯定してやった。俺の合唱人生を象徴する瞬間だった。

演奏会の最後に、解団のために客席と一緒に一本締めを行った。指揮者の掛け声とともに手を叩く音が響き、合唱団は解団した。解団しても演奏会は終わらず、すぐさま最期のあがきのようにアンコールが始まった。演目は『終わりのない歌』、1年目の演奏会で披露したものだ。大人になり切れない俺たちが「終わりのない歌をください」と乞い願い、これに対し「もう終わったよ、大人になりなさい」と諭すようにピアノがささやき、演奏会は終わった。


宇宙一の演奏会だった。


俺は歌が上手い。しかしこれ以来、俺は合唱をしていない。

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