生きたいと鳴く母。
あなたに質問です^ ^
とある数字が37を超えると大体死ぬ病気があります^ ^
その数字が1789ならどうなるでしょう?^ ^
母が泣きながら差し出した血液検査結果。
懸命に生きてきた母を嘲笑うような4桁の数字。
ドラゴンボールやトリコの世界ではない。
37を超えるとヤバい項目が1789だったのだ。
現状を飲み込むより先にパソコンを開く僕。項目名と数字を打ち込む。奥で震えている母にはあんまり目を当てないようにした。
「4桁の場合はガンが身体全体に転移し、めっちゃヤバいです^ ^ 死にます^ ^」
そんなことが書いてあった気がする。
身体の水という水が目から溢れる。ダムみたいに流れる。排水効率で言えば口とか鼻とかから出た方が楽だろうに。僕が枯れてしまうと思った。そのくらい流れて出た。
僕をみた母は「生きたい」と泣いた。
いや、鳴いた。
声が空っぽだった。生きたいかどうかとか、そういう話ではなく、母の形をした人間が「イキタイイキタイイキタイ」鳴いていた。
それを母だと認めたくなかった。
僕の母はかっこいい人だ。
僕の母は元気な人だ
僕の母は素敵な人だ
今までの「母」と離れた形相で鳴く人間を僕は母だと認めたくなかった。
ただ手を握るしかできなかった。
安堵させるため、というより、どこかに連れて行かれないように。
恐ろしく白無垢な天使たちに連れて行かれないように。
まだ生きてもらわなきゃ困るんだ。
生きてほしいのだ。
十分頑張ったと思う、休んでいいと思う。
でも、生きてほしいのだ。
いきてほしいのだ。
だからどうか、そんな声を出さないで。
…
…
…
結局、その数字はガンではなかったらしい。なんか色んな要因で爆上がりする数字らしい。とりあえず大丈夫だった。
「でもちょっと酒は控えるわ〜ほんまいつ死ぬかわからんなぁ」
そう笑う母は間違いなく母だった。
公園にて。
この一件でめっちゃ考えた。
母親が死んだあとの家庭のこと。
お父さんと妹のメンタルケア。
お金のこと、将来のこと
自分のこと
そして一つ、うまく消化できないことがあった。
「僕は表現をしていていいのだろうか」
僕という人間は少しめんどくさくて、日頃感じた何かを外に出さないと気が済まないらしい。
それが写真だったり、こういう文章だったりするわけで。感覚で言うと、表現っていうより排泄に近いというか…。
それ故にあんまり金にならない。もちろん使い方次第なのだが、現段階としてこれをどう金にしたらいいかもわからなければ、そもそも金にしたくもないのかもしれない
で、先述した母の件で「僕は表現をしていていいのだろうか」と感じた。
誰も読まないと思うこの文章は、1円も生まない。もっと言うと、もう一度母が“こう”なった時、なんの力にもならない。
むしろ働いた方がいい。掃除機を回した方がいい。風呂を洗って、味噌汁を温めていといた方がいい。母と一緒にいた方がいい。
いい。いい。いい。
なんというか、そう悟ってしまった。
しかしそうも言ってられない。
僕はこれが楽しい。現にこうやって母の臨死体験を嬉々とネタにしている。筆が進む。もう1200字だ。
週末には作った本をイベントに売りに行く。来週も再来週も色んなイベントに顔を出す。人と出会う。楽しみだ。
僕はどうしたらいい。
この溢れる涙と言葉をどう紡げばいい。
わからない。
僕を駆り立てるのは承認欲求?母への思い?自己理解?
なんだ?
これを書いてる時間はなんだ?
これを読んでるあなたはなんだ?
いいねを押す人はなんだ?
いいねを押されて嬉しいのはなんなんだ?
…
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