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はじめて舞台を観た日

 コリオレイナスを観ていたら、ふと思い出したので書く。

 わたしの初めての観劇経験は20歳のとき、ロンドンで観た『Against』だった。
 歌舞伎とかミュージカルとかは行ったことがあったけれど、いわゆる演劇というのはそれまで観たことがなかった。
 生まれて初めて向かったイギリスにひとり着いて、最初の日だった。

 留学先は北にあるヨークだったから、正直ロンドンに泊まる必要は全くなかったのだが、ベン・ウィショーという素晴らしい俳優がちょうど主演舞台をやっていたので、行かないなどという選択肢はわたしにはなかった。
 今思うと、だいぶ舐めた態度の留学生である。現地での行動を正直に話した大学の留学担当の人も、多分“何だこいつ”と思っていただろう。でも、仮に今同じ状況にあったとしても必ず行くし、演劇も勉強のうちだ。

 『Against』はかなり変わった舞台で、宗教の話だった。
 長くなるから詳しい内容は割愛するが、舞台がアメリカだったので登場人物が皆アメリカ発音で話していて、あんなに演技が上手いベン・ウィショーのアクセントが何とも言えず違和感のある具合だったのがまず驚きだった。
 それから、舞台との距離がめちゃくちゃ近かった。
 前の方の席に座っていたとは言え、手を伸ばしたら舞台に触ってしまいそうな程だった。ハリウッド俳優が出ているのに、こんな小さな劇場でやるのかと思った。

 あの後もたくさん色んな舞台に行ったけれど、あの夜のことは今でも鮮明に思い出せる。

 内容ではなく、劇場内の空気とか、舞台上の雰囲気とか、自分がどう感じたか、すぐに喉のところまで上がってくるくらい瑞々しい思い出として残っているのだ。
 今までなぜ書かなかったのかといえば、すぐに書くには生々しい記憶があったからである。


 日本の舞台ではキスシーンを「誤魔化す」。
 背を向けたり、手の影に口元を隠したり、口の横にしたり、とにかく大きな舞台では本当にやることはかなり少ないと思う。
 その点、西洋の舞台では躊躇なく何回もキスしまくっている。コリオレイナスでも特に必要がない場面でもキスしまくっていた。夫婦役なのだからある意味当然である。文化の違いというやつだろう。
 
 わたしにとってベン・ウィショーは何というか妖精とか精霊みたいな存在なので、目の前でキスシーンなんてあったら変にドキドキしてしまうな〜と観る前に思っていた。
 キスシーンどころではなかった。
 3年近く経った今でも未だに緊張と驚きで胃がひっくり返る。

 彼が自慰するシーンがあったのだ。

 もうビックリした。人生でこんなに焦ったことは他にあったかというほど、驚いた。
 なにせ人生で初めて観る舞台だったので、どう反応するのが正解か解らず、かと言って周りを伺うのも憚られて、茫然と舞台上を見つめるしかなかった。

 ちゃんとその後の話の展開も何もかも覚えているのだが、あの場面の気まずさは一生忘れられないだろうし、なかなかに衝撃的な初演劇体験だったなと思う。
 日本で同じ舞台を同程度に有名な俳優でやったら、多分カットされるか、もしくは新聞に大々的に取り上げられるんじゃなかろうか。イギリスの演劇文化の洗礼を受けた瞬間である。


 イギリスは俗に言う出待ちが基本的に許可されているので、人生初の出待ちもした。
 汚れる演出だったからか、だいぶ役者たちが出てくるのに時間がかかって、知り合いもなくポツンとホワイエで待っていた時、隣にアジア人の女性が座っているのに気づいた。何となくそうかなと思って話しかけたら日本人で、話す相手ができてそれ以上スタッフの人に変な目で見られずに済み、ものすごくほっとしたのを覚えている。
 確か夜10時ごろを回ってようやくベン・ウィショーが出てきて、パンフレットにサインをもらい、写真も撮ってもらった。前述の女性には色々と手伝ってもらったので、感謝しかない。

 そのときのわたし自身はというと、ベン・ウィショーの眼があまりに美しくて全く言葉が出ず、挙動不審に陥っていた。そんな状態で心の準備が微塵もできていなかったのに、写真を撮るとき彼が想像以上に顔を近づけてきたので頭も心臓も止まった。
 ろくに言葉を発せないまま、弱々しく「せんきゅー…」と去りかけると、彼は「Night night」と返してくれた。フレンドリーな感じのグッナイらしく、わたしの脳内は“そんな言い方あるんだ…”で埋め尽くされた。
 かわいい響きだった。振り返ると、まあまあ長い海外生活の中で、この日が人生で一番の多種多様なカルチャーショックを受けた日である。


 後にも先にも、あれほど見知らぬ人と関わった観劇体験は、あれが最初で最後だ。
 だからこそわたしはこの思い出を何か特別なものとして後生大事にしまっておくのだろうし、あれが最初だったものだから、もしこれから配信が舞台の主流となってしまったら受け入れられない気がする。

 生の芝居をその場で観ないと生まれない経験があるのを、配信が新しい演劇のスタイルだと無邪気に押し出している人たちは知っているのだろうか。

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