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無駄なことを愛したい

生きる上で必要なものは衣食住。
寒暖に対応できるような衣服と、体を保つための食事、そして雨風を凌ぐための家屋だ。

現代社会では、それらを効率よく手に入れるためにはお金が必要である。
故に、金銭を手に入れるために活動、仕事も必要と言えるだろう。

では、読書はどうだろうか? ゲームは? おしゃれは? 趣味と言われるものたちは?

生きる上では必要ではない、と結論づけてもいいかもしれない。

どれも、お金も時間もかかるものである。そのどちらも、浪費してはいけないとされるものだ。

では、それらなしに生きていけるのだろうか。

私は、きっと生きてはいけないと思っている。

ある人は、仕事を辞めるべきサインとして「趣味が楽しめなくなった時」としているように、それらは心の余裕を示すものであると思う。

心に余裕がない時、人は必要以上に怒り、悲しみ、絶望する。
そうして命を経ってしまうこともあると考えると、趣味というのは命を繋ぐために大切なものではないかと思えてくる。

実際、私がひどく病んでいた時にこの世界に私を繋ぎ止めてくれたのはゲームだった。
好きなゲームのシリーズ最新作が発売されると知って、それをみるまでは死ねないなあと思ったのを今でも覚えている。

そして、さらにひどく病んだ時、私はゲームに興味を持てなかった。
趣味と呼ばれることが何もできず、そんな自分に生きる意味を見いだせなくなり、絶望した。

それでも生きているのはそこに至る前に仕事を辞めることを決めていたからだ。
今でも私はあの時の私の判断は素晴らしいものだと考えている。

そうして、今。

私は趣味が楽しい。

作業をする上では自宅の方が電源も使い放題、ネット環境もいい、他人に画面を見られることを心配しなくてもいいため、最適だ。

それでも、カフェに行って作業をする。

美味しい飲み物、自分では選んで聞かない異国の曲、適度な人の声は思った以上に作業を進めてくれる。

ゲームをしている時間は楽しくて気が晴れるし、読書は私の知らない世界へ連れて行ってくれる。

おしゃれだって、外に出ようという気持ちにさせてくれて、わくわくさせてくれる。

生きる上で、と考えると無駄なものになるだろうそれらは、しかし、生きる上でとても大切なものなのだと思う。

そして、必要な金銭を得られるだけでいい仕事だって、自分が興味を持てて、楽しいと思えることであったら、それは人生の彩りになり得るのだろう。

無駄なものかもしれないけれど、私は自分の好きなものを大切に生きたい。

そう思いながら、今日もカフェのカフェラテを口にする。

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