はじめに衝動ありき

責める人というのは、
いつだって責めることの出来る機会を探している。

例えば、誰かがミスや失敗したとき、
ここぞとばかりに責める人がいる。
そういう人は、自分の内部に責めたい衝動があるから、たまたま相手の過失が刺激源となり、責めを発動するのだ。
ここでポイントになるのは、
相手の過失はあくまでキッカケにすぎず、
それが原因ではないのだ。

責めたい気持ちは、既にあったのだ。

本人さえ気付かない無意識の怒りをどこかで噴出させたい。その感情表出の機会を虎視眈々と狙っているのだ。

もし、あなたが責められた立場なら、
自分に非があるからといって、
自分を責める必要など全くない。
どのような出来事であっても、
責めない人は責めないのだ。
罪悪感を感じる必要もない。
最初から、罪などなかったのだ。

そして、もしあなたが責めた立場なら、
責めてしまったという結果に対して、
自分を責める必要などない。
罪悪感を感じる必要もない。
最初から、罪などなかったのだ。

それよりも、あなたのその責めたい気持ちは、
いったいどこからやってきたのだろうか?

いったいどこからやってきて、
いったい何を伝えたかったのだろうか。

強い感情はエネルギーに変わり、
責めるという行動でもって、
この世界に表出した。

あなたが実際に責めたのは、
目の前の相手や出来事だが、
責めたかったのは何だったのか。

いつだって答えは、外ではなく内にある。
自分の内部にある自分さえ気付かない無意識領域には、自らがとった行動のヒントが隠されている。

感情とは、メッセンジャーだ。
非言語的領域の衝動を意識レベルまで運んでくる。

出来事が責めさせたのではない。
最初からあったのは、内発的欲求だったのだ。