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どんな白黒写真が正しい白黒写真でしょうか? 白黒写真の作家紹介②

前回、白黒写真の作家紹介①と言うことで、王道の美しい白黒写真についてお話しさせていただきました。

今回はその続きで、更にどのような白黒写真があるかをお伝えできればと思います。

写真が生まれた時代、19世紀の美しいビンテージプリントや日本の写真史において重要な白黒写真の表現などをお話しします。

正直、19世紀のビンテージプリントは非常に美しい作品が多いです。

写真の画質はフィルム面積の大きさ(或いは、イメージセンサーの面積の大きさ)に比例し、高画質となります。

19世紀後半、まだ庶民が気軽に写真を撮ることが出来なかった時代では、大判カメラ(昔の写真館にあるような箱型のカメラ、布を被ってピントを合わせるもの)が主流で、35mmフィルムやフルサイズのイメージセンサーより大きな面積で光を捉える技術しかありませんでした。

大体、はがきサイズから、大きなものではA4用紙くらいの大きさの銀製の板や、ガラスの板に感光剤を塗布したもので作られました。

例:

ダゲレオタイプ(銀判写真)…銀の板に感光剤を塗布したものに写した写真。非常に有毒の為、当時は割と命懸けの写真技法。

ウェットコロジオン法(ガラス湿板)…ガラスの板に感光剤を塗布したものに写す写真技法。ガラスの板が感光剤で濡れている状態でないと撮影出来ない為、非常に不便。

故に、状態の良いビンテージプリントは非常に美しいのです。

そして、現代においてダゲレオタイプで写真作品を制作している写真家の方も居ます。

Takashi Arai (新井卓 あらい たかし、1978年 - )

Web : https://takashiarai.com

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ダゲレオタイプ(銀板写真) 第五福竜丸の多焦点モニュメント、スタディ #2  『百の太陽に灼かれて』 2012 46x46cm ©︎Takashi Arai

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2011年3月11日、等々力緑地、1954年アメリカの水爆実験によって第五福竜丸に降下した死の灰 『毎日のダゲレオタイプ・プロジェクト』 2011 6.3x6.3cm 所蔵:ボストン美術館 ©︎Takashi Arai

参照:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/03/post-4702.php

古典技法のダゲレオタイプで写真作品の制作を行う、新井さんの作品は高く評価されています。

コンセプチュアルアートであり、モニュメントであり、古典技法を用いた白黒写真であります。

複写された画像からは判り難いのがダゲレオタイプの難点なんですが、銀色の光沢の上に精細な像が焼き付けられていて見ていて不思議な気持ちになります。

美しいビンテージプリントと言えば、絶対にお伝えしたい方がいます!

Atget Eugene ウジェーヌ・アジェ 
(1857年2月12日-1927年8月4日)

アジェはフランス人で19世紀の中期から後期にかけて大改装以前のパリの街並みや人々の生活風景など、今では失われてしまった光景を撮影し後世に残したことで有名です。

アジェは元々、画家になりたかったのですが挫折し、以降、芸術家が絵画を描く際に使用する資料として、パリの街並みや、人々の生活風景、職人の姿を撮影していました。

今でこそ芸術写真として評価されているアジェの写真は最初から芸術表現目的の写真というよりは、実用的な写真を作る商業カメラマンだったと言えるでしょう。

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4232.Hotel d`Ecquevilly.Grand veneur de Louis xv.Rue de Turenne 60 
© Eugène Atget / M84 参照:http://artgallery-m84.com/?p=5343

アジェの写真は、ただ漠然とそこに在るものを客観的に捉えているのではなく、アジェ自身の目線も滲み出ているが、写真が強く彼を語るでも無く、しかし確かにアジェ自身の美意識によって選ばれた光景が切り取られているように伝わってくる、絶妙な身体感覚で撮影された写真のように思えます。

あえて芸術写真をしようと考えていない、素朴な視線で撮られているのでしょうか。

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「Bar de Cabaret」1910-11(printed in 1956)
Gelatin Silver Print 23.2x17.2cm
stamp of Berenice Abbott on the back

参照:http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/52183295.html  

アジェの写真はガラス乾板で撮影されています。

ガラス乾板は、ガラス湿板を乾いた状態でも撮影できるようにした技法で、現在のネガフィルムに似たものになります。

透明なガラスに感光剤を塗り乾燥させ、大判カメラでそこに光を焼き付けて、ネガ像のガラス板を作り、紙にネガのガラス板を圧着して焼き付ける、そんな感じの古典技法になります。

鶏卵紙と呼ばれるアイボリー調の印画紙を使用している為、アジェの写真は全体に褐色系の色がついており、被写体が今では見ることが出来ない風景である事も相まって、独特なノスタルジックな印象を醸し出していると言えるでしょう。

僕もパリで一度だけアジェのオリジナルプリントを拝見したことがありますが、ネットの複写の画像で見た印象とは全く違うものでした。

ガラス乾板ならではのターナーの版画のような精細な描写と、印画紙由来の柔らかさや光の滲みが非常に美しく、衝撃的でした。

あの経験がなければ現在、僕はこんなに銀塩写真を愛してはいないと思います。

前回紹介させていただいた、メインストリームな白黒写真の調子とは全く異なる古典技法ならではの「美」がそこにはあります。

機会があれば是非ご覧いただきたい絶品プリントです。

僕は気に入りましたが、もしかしたらもっとハードな白黒写真が好きで、ビンテージプリント好きになれない人もいらっしゃるかも知れませんね。

そんな方にではこんな写真はどうですか??と言いたいのが、日本の写真史においてどうしても語らずにはいられない写真家の方々がおられます。

「 provokeの写真家たち 」

日本の写真表現と言えば、こんな感じの写真ではないでしょうか…?

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Takuma Nakahira, For a Language to Come (1970) – reprint 2010

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Takuma Nakahira, For a Language to Come (1970) – reprint 2010

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Takuma Nakahira, Circulation: Date, Place, Events (Tokyo: Osiris, 2012)
参照:https://monstersandmadonnas.blog/2012/08/24/provoke/

1960年代、世の中にリベラル思想が広く伝わり多くの若者が学生運動に沸く最中、写真表現においてラディカルな思想を持った写真過激派によって「思想のための挑発的資料」と銘打ったprovokeという写真同人誌が世に放たれます。

写真家の「中平卓馬」と「高梨豊」、芸術評論家の「多木浩二」、詩人「岡田隆彦」によって、1968年に創刊されました。

2号から「森山大道」が参加されたとの事です。(3号で終了)

日本の写真表現がガラパゴス的な進化をしている気がするのは間違いなくこの人たちの影響が大きいと思います。

provokeで掲載された写真は、主に白黒写真なのですが、粒子は大きく荒いし、ブレてるし、ボケてるし、所謂「アレ・ブレ・ボケ」と呼ばれる失敗写真の代名詞と呼ばれそうな要素が詰まっていました。

その写真群は全て、高コントラストでアレ・ブレ・ボケの作品なんですが、それぞれの作家が各々の思想をきちんと持っていました。

中平さんは来たるべき言葉の為の写真を撮っており、森山さんは自分にとってのリアリティが高コントラスト・アレ・ブレ・ボケの体裁を含めた世界だった訳で、更に高梨さんのprovoke以降の作品でコンセプト毎に方法論が変わってきますね。(大判カメラにカラーのポジフィルム詰めて撮影した作品もあったりします)

ちなみに、森山さんはウィリアム・クラインが撮ったニューヨークのハイコントラストな白黒写真に影響を受けたというのは有名な話です。

provokeについてYoutubeで飯沢さんが詳しく語ってくださっているので、ご覧ください。

飯沢さんは1960年代を経験されているので、とってもリアルなお話が聞けますよ。

森山大道の写真は現代においてアート写真のファンはもちろん、海外でも評価されているし、日本のユース世代にもファッションブランドとのコラボなどで有名になっていますね。

写真好きな人の中には世代に関わらず憧れる人は少なく無いんですけど、森山さんのハイコントラスト粗粒子写真はなかなか真似できないんですよね。

森山さん自身も、同じプリントは焼けないとインタビュー動画で語っていたりします。笑

森山さんは白黒のネガフィルムを熱湯で現像してスケスケでぼろぼろのネガからプリントしたりしているらしいのですが、これ暗室で白黒写真のプリントをした経験がないと分かりづらいんですけど、めっちゃ難しいことなんですね。

ネガフィルムを適正露出での撮影、適切な現像のプロセスを経れば割と難しいことはないんですけど、ネガの状態が悪いと立体感が出なかったり、印画紙の白い部分に質感が乗らなかったりでもう大変。

森山さんは あえて 王道の皆が評価する美しい白黒写真を作っていないのでしょうね〜。

暗室ワークが上手なので、アダムスおじさん顔負けのファインプリントを作ることも全然できたのだろうと思いますが、好奇心から挑戦的なネガでプリントを作っていたのではないかな〜と想像したりもします。(森山さんは日本写真界の巨匠、東松照明のプリンターだったから上手になったらしいですよ)

森山さんのプリントもう、印画紙と光を使って絵を描いているようなもんです。笑

さて、王道の白黒写真の調子から逸脱した表現をも許容する、日本の写真表現の土壌の豊かさは素晴らしいものですね。

今ではファウンド・フォトと言って自分で撮影していない写真を使用してコンセプチュアル・アート作品を制作する作家も居たりして、現代アートの中で評価されていたりもします。

一世代前の常識ではなかなか考え難いことが起こってきています。

1960年代もそうだったと思います。

というか、印象派にしてもシュールにしても、芸術活動はこれまでずっと過去を否定する形で進化してきました。

枠を超えた自由な発想で、今ある当たり前を超えた先に表現の進化があるのでしょうね。

長くなってしまいましたが、このように前回お伝えしたメインストリームの白黒写真以外にも魅力的な白黒写真の作品があります。

好みの写真が見つかったら是非、作品と作家を調べてみてください。

楽しいですよ!

お付き合いありがとうございました。



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