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#1 鱗十文庫の話

 現在、筆者の手元に木製の鱗十(ウルクジュウ)文庫印がある。鱗十文庫とは、我が鱗十(△十)野坂家の家祖である野坂久五郎翁が創設・開放した私立図書館、つまりは無償の貸本屋のことである。その創設年代は不詳ながら、明治20年(1887)頃のことと考えられている。鱗十文庫はその後、明治41年(1908)に開設された野辺地町立図書館の母体となり、現在に至っている。図書館の古い蔵書の中には、今でも「△十文庫野坂久五郎、陸奥国野辺地本町」という丸印や角印が捺されたものが残っているという。
 久五郎翁は、筆者にとっては高祖父にあたるが、その頌徳本である横浜正大編著『久五郎堤之人』(私家版、1974年刊)によれば、現在の青森県上北郡野辺地町で△エ(ウルクカセ)野坂家九代、野坂新蔵の四男として弘化3年(1846)5月5日に生まれた。のち分家して△十野坂家を興し、呉服商、小間物商などを営んだとされる。筆者の知る限り、私の祖父(久五郎翁の孫、新一郎)の代にはすでに商売はしていなかったようであるが、代々商家の家系であったことが分かる。ちなみに、筆者の家系は、翁の娘まさが仙台出身の宍戸喜十郎を婿にとり分家した家であるから、鱗十野坂家の傍系に過ぎないのだが、直系の家はみな野辺地町外へ移転しており、菩提寺である日照山常光寺(曹洞宗)で墓守をしている関係上、我が家に鱗十文庫印が伝わったものと推定される。
 久五郎翁はいかにも明治の人であったらしく、自身の商売のためだけでなく、公益のために種種の事業を始めた。鱗十文庫の創設も然り、防火貯水池である久五郎堤の建設も然りである。「野辺地みやげ」という冊子を刊行し、商人としての心得、公序良俗を説いたり、野辺地町にも名産品を興すべしとの殖産方針を流布したりしている。軒下に「婢僕養成所」、「倹約伝習所」、「職業世話所」などの看板を掲げ、道徳教育の必要性を訴えるばかりでなく、常に有言実行の人であった。翁の生涯の信条である「楽目的遊夢世」、目的を楽しみ、夢の世に遊ぶ、は筆者の標榜する精神でもあり、ここに鱗十文庫の名を掲げるものである。

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