鱗十文庫のnote

主に歴史系の随筆を書きます。 本名は省略しますが、字は彩龍、号は竹陰、無憂庵、文史斎、…

鱗十文庫のnote

主に歴史系の随筆を書きます。 本名は省略しますが、字は彩龍、号は竹陰、無憂庵、文史斎、三多堂、湖北散人など。 これまで使ってきたペンネームは、T.N生、九笹彩龍、角田文彦、香青玉、川村薫、南部龍三などなど。 よろしくせぎゅ!

最近の記事

#37 煉瓦の積み方

 先々月、京都市内を歩いた際、同志社大学室町キャンパスの建物の煉瓦(レンガ)積みが特徴的であることに気づき、写真を撮っておいたが、それが「アメリカ積み」という積み方(組積法)であることを知った。我が国における近代建築に西洋式の煉瓦積みが普及していることは知っていたが、実際には「イギリス積み」以外は実見したことがなかった。  煉瓦の歴史を語るつもりはないが、我が国古代には仏教建築とともに塼が大陸から招来され、おおむね基礎や床構造として使われ、建物本体の構造物として利用されること

    • #36 長徳は長毒に通じる

       昨夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、飲水病(糖尿病)がひどくなり、政務が執れなくなった関白藤原道隆が、なんとか強引に嫡男伊周に権力を継承させようと必死になり、一方、一条天皇は親政への思いをますます強めていく流れであった。疫病(天然痘)が蔓延する市井とは峻別させる必要があるためか、道隆の症状の進行は3週に亘っており、まずは身体の倦怠感、次に視力の低下と喉の渇き、ついには手先のしびれまで演出されていた。  前にも書いたように、疫病退散のために正暦から長徳へ改元されるわけである

      • #35 野に咲く花もまた天下のものだ

         春は花の季節であり、花が気になる季節でもある。早春の蝋梅、梅から春本番の桜、ハナミズキと咲いてきて、今はツツジが盛りとなり、これから藤や菖蒲、サツキの季節となる。しかし、有名な花ばかりでなく、春は様々な花の季節であり、民家の庭先はまさに百花繚乱の態をなしている。  筆者が通勤する海老名市門沢橋駅から職場までの5分強の道すがら、3月から4月前半には雲南黄梅(オウバイモドキ)の黄色が目を引いた。同じモクセイ科ソケイ属の黄梅の近隣種であるが、花弁が少し小さい。原産地も同じ中国西部

        • #34 正暦・長徳の疫病

           前回のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、平安京を襲った疫病を軸に話が進んでいった。かかる疫病は、実際に正暦4年(993)から長徳元年(995)の約三年間に亘って猛威を振るったことが史料に残されており、疫病(疫神)の退散を願って正暦から長徳に改元されたのである。平安京は死屍累々の有様で、遺棄された死体で道や堀が埋まり、通行に支障が出たとまで記録されている。なお、このような異常事態は当時の死や遺体に対する穢れの思想が影響しており、朝野ともに亡骸の処理を放棄していた可能性が高い。

        #37 煉瓦の積み方

          #33 香炉峰の雪

           今夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、いろいろと物語は進んだが、個人的なクライマックスはやはり中宮定子と清少納言のやり取り「香炉峰の雪はいかがであろうか」の場面であった。先週の予告編から話題となっていたようだが、これは『枕草子』の有名なエピソードであるため、『源氏物語』だけでなく、『枕草子』の場面も盛り込んだ形となった。 「香炉峰の雪」といえば、女性の機智に富んだ対応そのものを指す慣用句ともなっているが、かかる『枕草子』の一節を基とする。雪の積もった朝、御簾も格子も締め切っ

          #33 香炉峰の雪

          #32 宇多源氏の後裔

           前回のNHK大河ドラマ「光る君へ」で穏やかに退場した左大臣源雅信(920~993年)は、宇多源氏の始祖としても知られている。皇族出身の賜姓源氏は源氏二十一流と呼ばれるほど多様であるが、それぞれ出自の天皇に因んでそう呼ばれる。宇多源氏は、第59代宇多天皇の子孫たちであるが、第八皇子敦実親王の子雅信王が臣籍降下した源雅信の系統が著名である。 「光る君へ」の時代考証でも知られる倉本一宏著『公家源氏』(中公新書、2020年再版)によれば、そもそも賜姓源氏は天皇家との身内関係により栄

          #32 宇多源氏の後裔

          #31 カタクリの花は群れて咲く

           すでに季節も過ぎて久しいが、3月~4月初めの花に片栗(カタクリ)がある。我が国原産のユリ科の多年草で、春先の山林に群生し、可憐な紫の花を咲かせる。地域によってはもっと花期が遅いが、関東地方では年々早くなっているようだ。カタクリの花茎はせいぜい10~15㎝程度であり、早春に咲くのは周囲の草木が芽吹く前に大きな葉を広げて、日差しを独占するためである。「春の妖精」の異名があるように、地上に葉や花を見せるのは春の数週間だけである。花期が終わるとすぐに枯れてしまい、地下で休眠する。土

          #31 カタクリの花は群れて咲く

          #30 芍薬と石楠花

           これからの季節の花に芍薬(シャクヤク)がある。ボタン科の多年草であり、近隣種の牡丹(ボタン)によく似た大きな花弁で咲く。花期は初夏(5~6月)だが、近年は桜が散ると躑躅(ツツジ)と同じ時期に咲いているようだ。都都逸で美しい女性の形容詞として「立てば芍薬、座れば牡丹、歩む姿は百合の花」というが、東洋における花の王、花王たる牡丹に極めて近い花として花の宰相、花相と呼ばれ、人気を集めている。原産地は中国東北部からモンゴル、シベリア周辺であり、寒冷地を好む。日本列島は高温多湿のため

          #30 芍薬と石楠花

          #29 永青文庫見学記

           東京都文京区目白台1-1-1に所在する細川コレクション永青文庫へ令和5年度早春展「中国陶磁の色彩―2000年のいろどり―」を見に行った。永青文庫は、肥後熊本藩細川家が所蔵する歴史資料や美術品等の散逸を防ぐ目的で昭和25年(1950)、細川家第16代当主護立によって設立された博物館施設である。近世大名細川家のコレクションもさることながら、実際には近代日本有数の美術品コレクターであった細川護立が蒐集した東洋古美術、近代日本画が多いという。永青文庫といえば、「細川ミラー」の通称で

          #29 永青文庫見学記

          #28 紅一点

           男性ばかりの中に一人だけ女性がいることを、「紅一点」と表現する。しかし、このような性差を強調する物言いは、いかにも昭和的であり、今後使われなくなるだろう。というか、ここ10年は聞いていない気がする。20歳代以下の方々は本当に聞いたことがないのかもしれない。  ところで、「紅一点」の出典は、北宋の政治家にして唐宋八大家にも数えられる文人、王安石(1021~1086年)の漢詩「詠柘榴詩」であるとされる。「万緑叢中紅一点、動人春色不須多」の二節のみが伝わっているが、「万緑叢中紅一

          #27 皇后と中宮

           昨夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、摂政・関白として権勢を誇った藤原兼家が死去し、その権力を嫡男である藤原道隆が継承する流れであった。道隆の専横を強調するためか、前例を凌いで一条天皇の女御であった定子(道隆の娘)を中宮に立后するエピソードが盛り込まれた。陣定(じんのさだめ)の公卿たちがみな難色を示す場面も描かれたが、はっきり言って歴史に詳しい方々以外には難しい話であり、特によく分かっていない平安時代においては、なおさらついていけないところがある。  中宮とは、本来の字義か

          #27 皇后と中宮

          #26 南部藩下屋敷その後

           東京駅近くの総合商業施設KITTE内にあるインターメディアテクで開催中の特別展示「都市―エドキリエズ―」を見てきた。展示されていた各種江戸切絵図の中に文久元年(1861)「東都麻布之絵図」があり、盛岡藩下屋敷を示す「南部美濃守」がど真ん中に描かれていた。盛岡藩南部家の歴代藩主で美濃守に叙されたのは第14代南部利剛しかいない。最後の藩主ではないが、利剛の代に黒船来航、明治維新、戊辰戦争があり、幕末の動乱の表舞台に立たされた。  盛岡藩下屋敷は、現在の東京都港区麻布周辺にあり、

          #26 南部藩下屋敷その後

          #25 縄文マッチョマン

           東京大学総合研究博物館で開催中の特別展示「骨が語る人の生と死―日本列島一万年の記録より―」を見てきた。東京大学は我が国の最高学府だけあって、明治10年(1877)のE・モースによる大森貝塚の発掘以来、日本各地で収集されてきた数千体にも及ぶ古人骨が保管されている。かかる展示は、古人骨の実態を通して、祖先たちの時代による変化、生き様、死生観、病魔との闘いなどを紹介することを目的としている。展示解説によれば、ヒューマン・ダイバーシティ(人類の多様性)の本質を捉えなおす機会にしたい

          #25 縄文マッチョマン

          #24 椿と山茶花

           身近な花でありながらあまりよく知られていないが、椿(ツバキ)は我が国原産の植物である。海石榴とも書くが、これは隋の煬帝が詠んだ漢詩に由来しており、「海」を冠するのは海外から渡ってきた植物、すなわち日本から大陸へ渡ったことを表している。学名をカメリア・ジャポニカといい、ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹である。低木が多いが寿命が長く、樹高10mを超えることもある。標準和名が藪椿(ヤブツバキ)であるように、山野に自生していたものを庭木としている。数多くの園芸種が生み出され、後述する山

          #24 椿と山茶花

          #23 椿餅考

           今夜のNHK大河ドラマ「光る君へ」で元服したばかり10歳の一条天皇は、好きなものの一つとして「椿餅」を挙げていた。椿餅は、平安時代中期の『源氏物語』や『宇津保物語』にも登場する最古の和菓子といわれる伝統菓子であり、平安時代から現代まで作り続けられている稀有な菓子でもある。椿の花と同じ早春の季節物であり、現代の椿餅は、もち米で作った道明寺粉で餡子を包み、椿の葉で上下を挟んだ姿をしているのが一般的だ。古代に餡子はないため、道明寺粉に甘葛汁という甘味料を混ぜ込み、椿の葉で挟んだも

          #22 「世界ふしぎ発見!」に捧ぐ

           今年3月末で昭和時代から続いたTV番組「世界ふしぎ発見!」(TBS)が終了となった。昭和61年(1986)から38年間放送されたそうであるから、筆者が10歳の時からというわけだ。短命が多いバラエティ番組、しかも歴史系・文化系のTV番組としては異例の長寿番組となった。これで歴史好きになったわけではないが、子供の頃からよく見ていた。海外の情報に触れる機会の少ない時代と違い、現在はインターネットですぐ検索できる環境にあり、そもそもクイズ形式のTV番組は難しい時代となった。それでも

          #22 「世界ふしぎ発見!」に捧ぐ