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さつきのこと 前半

 一番近いのは親友という単語なのかもしれないけれど、今となってはそれも微妙に違う気がする。
 恋人と違って親友は複数いても通常は問題ない。「彼女は私の親友です」と人に紹介しても間違いではないものの、果たして同時期に何人程度を親友と分類していいものなのか。例えば十人近い人に対してそういうことをしていたら、「あの人は誰のことでも親友扱いするんだね」と思われ、親友という言葉の重みがなくなっていく。
 恋人だったら、多くの場合は、お互いに「関係を解消しましょう」と確認し合ってから次の相手と新たな関係を築くのが自然だ。しかし、親友の場合は、そうではない。
 今となっては、夏美にとって彼女は、もはや親友と呼ぶのはあまり適切ではないのかもしれない。もう十年以上音信不通になっていることだし、夏美の親友枠は、今ではほかの人たちで埋まっている。
 仮に、誰かに彼女のことを紹介する機会があったとする。「彼女はかつて私の親友だった人です」などと言ったら、なにがあったんだと思われてしまうことだろう。かと言って、「友達です」とすませたらどうなるのか。そう紹介されたところで、さつきはなにも言わないだろう。しかし、きっと心の中では「友達ね、ふうん」と思うだろう、そうして二人の間では、新たに、「単なる友達」の一人としての関係が始まっていく――、それはそれで、なにか違う気もしてしまう。

 あのころ、学校にいるときは、いつもさつきが近くうろついていた。さつきはなにか思いつくたびに、夏美に話しかけてきた。
「私、思うんだけど、勉強ってやっぱ、とりあえず仕事して、その合間にやったほうがいいと思うんだよね。習い事とか部活とか、好きなこと探せとかやってみろって言われても、これやってても稼げるわけじゃないって思うと、いまいち気合が入らなくない?
 ほら、太田さんとか、家の手伝いさせられてとか文句言ってるけど、皿洗いしたらバイト代もらってるらしいじゃん? だから勉強する時間がなくて成績上がんないとか言ってるけど、私はそのほうがいいと思うんだよね。皿洗いしつつ、せっけんと洗剤とではどっちが汚れが落ちやすいのか観察して、それぞれを化学的に見るとどう成分が違うのか考えてみたり、そうやって生活と関わってるからこそ、ものごとに興味持つんじゃない?
 それに、もっと日本に興味持てなんて言われてもさ、中学生なんてしょせん親が金持ってる人じゃないと、旅行したりできないわけじゃん。今度修学旅行で京都行くけど、たぶんこのクラスのうちで、西日本へ行くのも、新幹線に乗るのも初めての人って半分くらいいるわけでしょう。そんな子供たち集めて、やれどこそこの気候はどうので、産業はなんだとか言っても、どうやって興味持てって言うんだろう。お経を暗記するのと同じようなもんじゃんね。まだお経でも暗記してたほうが、いざというときに便利かもしれないよね」
 当時の夏美は、さつきになんと言ったのか。「お経を覚えとくと、どういうときに便利なの?」などと、知らず知らずのうちに話を反らしてしまった気がする。そんなときも、さつきは嫌な顔をするでもなく、夏美の質問に答えた。
「この間、新聞の投書に書いてあったんだ。無言電話がよくかかってきて困ってて、やけになって般若心境を唱えたら、すぐに電話が切れて、それ以降、もう二度とかかってこなかったんだって。なんかそういうの、実用的でいいよね」
 そんな風に、二人は日々、いろいろなことについて語り合っていた。
夏美が国内の都道府県について覚えようと本気で思うようになったのは、大学受験のときではなく、大学に入ってからだった。知り合ったばかりの人と話すとき、「どこ出身なの?」「〇〇県」「それってどこにあんの?」なんてことを言ってしまおうものなら、けんかでも売っているのかと思われてしまう。他県から来た人の出身地がどんなところなのかなかなか想像できず、会話が続かないことに危機感を覚えて、初めて日本地図を真剣に見た。そういうことがあると、ふとさつきを思い出した。
 さつきとは、三年生になってから初めて同じクラスになり、共通の友人を通して知り合った。飄々としていて、近寄り易いのか、近寄り難いのかいまいちわからない人、という印象が強く、しばらく親しくしたものかわかりかねていた。
 ある日夏美は、高校生よりも年上に見える男性が運転している助手席に、さつきがいるのを見かけた。翌日、珍しく自分から声をかけてみた。
「この前年上の人とドライブしてたでしょう」
「ああ、それ、お兄ちゃん」
「お兄さんいたんだ。何歳違うの?」
「五歳」
 夏美の兄と同い年のようだ。
「お兄さん、この中学校に通ってた? うちのお兄ちゃんと同じ学年だったかも」
「うん、なっちゃんちにも行ったことあるって聞いた」
 夏美は、知らないうちにさつきの家族間で自分の話が出ていたことに驚いた。
 そうこうしているうちに、体育でペアになってと言われたときや、なにかの当番を決めるとき、修学旅行の班を決めるときなど、自然とお互いの姿を探すようになっていた。
 さつきとはずっと一緒にいても話が途切れることがなく、さつきも、夏美といることを面白がっているようだった。
 さつきはときに、子供じみた遊びをするのが好きだった。
「ねえ、あいつらの後をつけてみようよ」
 休みの日に、二人で川へ遊びに行ったときのことだ。同じ学年のやんちゃな男子たちが、二人が遊ぼうとした場所よりもさらに奥へと歩いていくのを見て、さつきはささやいた。
「やだよ、そんなの。ばれたら気まずいじゃん」
「川はみんなのもなんだから、どこにいようと私たちの勝手でしょう」
 さつきは夏美の同意を待たずに、さっさと歩いていってしまった。
やがて彼らは、ある場所に落ち着いて、そこで飛び込みを始めた。それに飽きると、またどこかへと姿を消した。
 彼らが去ると、さつきは立ち上がり、「さ、泳ぐよ」と言った。
「泳ぐって……、私たち、水着持ってきてないじゃん」
「夏なんだから、濡れてもすぐ乾くって」
「服のまま泳ぐと、服が重くなって溺れて危ないんじゃないの?」
「浅いし、流れも緩いし、こんなとこで溺れようがないよ」
 さつきはそう言うと、服のまま川に入った。
「やっぱり水がきれいだよ。上流はいいねえ」
 夏美も恐る恐る服のまま川に入った。服が体にまとわりついて変な感じはしたものの、すぐに慣れた。暑くなりつつある季節の中、冷たい水は心地よかった。
 このように、さつきはいろいろなことに興味を持って、すぐに手をつけた。バイオリンを習ってみたり、ダンスを習ってみたり、しかしあまり長続きはしないようで、いつの間にか辞めているのだったが。
 飽きっぽいことはしばしば悪いようにも言われるが、自分の意志できっぱり辞めて、だらだら続けないことは、夏美から潔く思えた。自分はなんでも惰性で続けてしまい、けっきょくやりたいことをやれていないのではないかと思われた。さつきを知って、なにかが変わったということはないが、会っていなかったら、そんなことを考えることもなかっただろうと、よく思っていた。


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