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塩梅

※しおうめじゃないですよ?

大谷選手の元通訳者の違法賭博事件があったが、ギャンブルの金額が大きすぎて規模がよくわからなかった。なおのこと、大谷選手の年俸も破格である。

どうしてギャンブルにお金を使ってしまうのだろうね。冷静に考えれば、ギャンブルが大規模な商売になっている時点で、多くの利用者が莫大な損害を受けることで成り立つシステムになっているのは明白である。
負けたら大変だというスリルが楽しいのだろうか。楽しんでいるうちに感覚が麻痺していき、気がつくと引き返せないところにまで行っていたということか。

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悪いと思っているのにやめられない。価値がないと思っているのに離れられない。そうなのだとしたら、それはなかなか興味深いことだ。

人の行動は、論理で動いているのではないのだろう。

脳とか神経とか身体の感覚は、案外に騙されやすく、習慣によって固定されてしまうと変えるのが難しいのだ。

本能だけでなく理性でも「欲しい」と思えるもの。そういうものを獲得するために、行動を習慣づけられたらいいのだろう。

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でも、「欲しい」とか「好きだ」とか「手に入れたい」という感覚自体がおかしくなっていて、もはや理性でテコ入れ出来ないほど変更不可になっていたとしたら、それは恐ろしいし苦しい。

手に入れたら心や体や人間関係が悪くなることが分かっているものを、どうしても手に入れたいと思わずにはいられない、としたら。

手に入れても不幸、入れられないのも不幸。

依存性という枠にはめずに、身近なことでも沢山ある。
お菓子を食べて太るのも嫌だけど、食べないとイライラするとか。
仕事のことを考えすぎて疲れるのに、考えるのをやめられないとか。
推し活にお金と時間を使いすぎていてやめた方がいいと思っているのに、なぜか止められないとか。
陰口で憂さを晴らすのはやめた方がいいと思っているのに、やめられないとか。

それ自体に確かに何らかの快楽とか興奮とかリラックスとかの効果はあるのだろう。でも、それと引き換えに後で付いてくるものが割に合わないという事だ。大体、そういうものがビジネスになっている。

本当の本当に価値のあることって一体何なのだろう。それが好きなら、その人にとってはそれだけの価値があると言えなくもない。身を滅ぼしてでもその楽しみを享受したいと思っているなら、それもまたひとつの生き方とも言えるだろうか。

私自身は石橋を叩いて渡るタイプだけれども、思考だけはいつも自由で、割りとなんでもありだ。おかしな考えも、おかしいなあと思いながら興味深く受け入れる。人間というのは実に興味深い。

あなたが繰り返し選んでいる行動は、あなたが本当に選びたいと思っている行動ですか?

その選択による結果に、納得してますか?

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理性では「なんでこんなのが好きなんだろうね」となるようなものを、本能が「よくわかんないけど好きなんだよね」と言ってしまう。

そこに、人生の愚かしさもあり、また同時に素晴らしさもあるように思う。

この絶妙な塩梅。

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