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花の香り

花の香りってとてもいい香りなのだけど、私はお葬式を思い出してしまう。

私にとって初めての花の香りの記憶が、祖父母のお葬式だからだ。


父方の祖父母は私が中学3年生の頃に亡くなった。
家が少し離れていて、月に一度会いに行く程度だった。
祖父母の家に遊びに行く日が大好きだった。
勉強していること、部活のこと、習い事のこと、色んな話を祖父母とするのが好きだった。


祖母は礼儀のある人で、時々私たちを厳しく叱った。
でも、とても穏やかで、時々手紙を送ってくれる、優しい人だった。

祖父はおちゃらけるのが好きで、私が思い出す祖父の顔はいつもにこにこと笑っている。
食べるのが速く、力の強い人だった。

ソファにふたり並んで座り、野球の中継や笑点を仲良く観ていたのをよく覚えている。




祖父も祖母も、癌を患い亡くなった。
ある時から祖母の体調が優れないことが増え、会いに行く頻度が減った。
会いに行っても、いつも座っていた。

記憶が曖昧だが、それから少し経ち、祖父母の家に遊びに行くことがめっきりなくなってからは、全てがあっという間だった。

「おじいちゃんもおばあちゃんも入院している。お見舞いに行くよ」と両親に言われ会いに行った時にはもう、ふたりとも痩せ細っていて、話はできたが呂律が回っておらず、何を言っているのか分からなかった。
普通に話せていた祖父母が次に会った時にはまるで別人のようだった。
怖くて、悲しかった。
その頃に聴いていた音楽をたまたま耳にすると、悲しさが鮮明に蘇ってくる、という経験を何度かした。



祖父母の家を訪れなくなってから、入院しているふたりに会うまで、どれくらいの期間が空いていたのか分からないが、当時も今も、なんだかとても急だった、という感覚だ。

我が家はなんだかコミュニケーションがちゃんと図れていない家なので、祖父母の体調がどんな風に優れないのか、癌と診断されたこと、病状の変化など、何も聞かされずに入院している祖父母に会いに行った記憶がある。

祖父母が亡くなって何年か経ってから、少しずつ気持ちの整理ができ、祖父母が弱りきってしまうまでなぜ両親は何も知らせてくれなかったんだと、怒りが込み上げたが、そのことを両親に咎めたことはない。
今更怒っても仕方がないし、当時の私たちを不安にさせたくないという思いからだったのかもしれない、と今は思っている。


社会人になってから、祖父母を思い出すこと、会いたい、話したいと思うことが増えた。
大人になってからしか話せないことが沢山あった。
当時より、抱える悩みや考えることもうんと増えた。
今の私に、祖父母はなんと声を掛けるだろう。


今日、こうして文章を書くことを通して、初めて祖父母の死と正面から向き合ったかもしれない。
少し、気持ちの整理ができた気がしている。


これからも、花の香りがする度に、祖父母のことを想いたい。

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